2018年12月8日土曜日

意匠(装飾ではないぞ)

意匠法
(目的)
第一条 この法律は、意匠の保護及び利用を図ることにより、意匠の創作を奨励し、もつて産業の発達に寄与することを目的とする。
(定義等)
第二条 この法律で「意匠」とは、物品(物品の部分を含む。第八条を除き、以下同じ。)の形状、模様若しくは色彩又はこれらの結合であつて、視覚を通じて美感を起こさせるものをいう。
 
これを読むと、もうまるっきりこれを考えた人達が的外れもしくは自分たちの分野だけ通用すればよいと考えていた事がわかる。意匠と言う言葉を乱暴かつ雑に扱っている。
類する言葉で「デザイン=design」があるからその他の事はそっちで扱ってね・・なのだ。

この法律のミスは「視覚」に限定していること。触覚や聴覚など、いくらでも意匠を凝らす工業分野もあるのに、そこがそっくり抜け落ちている。では視覚障碍者に美感は無いのか?モノづくりは不可能なのか?美感は健常者だけの物なのか?美感と言う幸福心は可能な限り共有すべきだろう。それがバックボーンにあってこその法律でなければならない。

意匠と構造とに分けて何の疑問の持たない現代の建築連中に言ってもわからないかもしれない。ただそれと同じような事が今、建築で言う「意匠」なのだから、ボケカスと言いたいところだ。ま、いいや。

所で何故に「意+匠」なのか。さらに言えば、この「意」の主語は誰なのか。誰の心か・・。
それはパトロンあるいは建築を使う人との関係で決まる。

アートとしての注文なら、建築家本人の空間意識で作ればよいし、その他の条件ならば建築主の要望を達成させるために、建築家が持ち合わせている空間ボキャブラリーで翻訳する。

当たり前の事だが、通常優先すべきは、建築主の成功あるいは幸せにするためにそれを行っているのであって、作品意識であってはならない。

チャラい建築家がその辺のモラルもなく、ナンチャッテアートを作品としてやっているのを見ると「何だこれ」と思うが、その程度でも金を出す建築主が居るのだから、それはそれとして「騙すのが巧いね」と認めてはいる。
 
実際モラルに従った人の意匠は、何の変哲もない平凡な物が多い。それは意匠を収れんしていくと落ち着くところは「他者と共有しあえる物」であるからだ。「理解しあえる」これは「各人の独自の世界」ではない。多くの人が理解できる。これは平凡なものだ。だが非常に重要な事なのだ。独自の世界に突っ走ることはいつでもできるが押える方がはるかに難しい。

それをつまらないものと見るかは、その本人が求めている物で異なる。
傾奇者で注目を浴びたいのか、それともひたすら建築の対象者の幸福を願うのか。それを読み取れないでは、有名建築家礼賛信仰したところで何の意味もない。職人たちの心意気も感じられるわけがない。

笑うセールスマン喪黒福蔵の言葉を借りると「扱っているのは心でございます」だ。だから、建築は多様な心理学も行動学も応用する。

意匠の「意」はそこで決まり、そのあとの方針をも左右する。
ま、それも出会うパトロンとの関係によるもの。
あたしゃ建築芸人だから、要望があれば何でもやるけどね(笑)