2015年8月31日月曜日

宗教的行事の準備に参加

報恩講の準備に駆り出された。
初めていくので、と言うより他人と共同作業と言う場面が苦手なので気後れしている。
が、とりあえず身内の顔を見つけて仕事をする。(実は今までになくパニクッタ)

講師とか、プレゼントか、通常の仕事とか、別もの扱いされているならば、やることは決まっているので迷いもないのだが、今日はどういう訳か気持ちが揺れた。

まぁ、やって見ると世間話合間に手を動かしているような物なので気楽でぬるい仕事なのだ。そうかこう言う仕事なのか・・。

思うにこう言うコミュニティ類の仕事の知恵と言うのは、普段やっている「責任が~、使命が~」などと、覚悟抜きには出来ない仕事と違って、その人の持っている能力のほんの一部分を使うのがルールなのかもしれない。

正直今まで、そう言う気楽な取り組みはしていなかったな。やると決めたら全力。だから周りも辛かったかもしれない。(NPO時代を思い出す)
だけど、どこで手を抜けばよかったんだろう・・・。

 体力的に疲れる仕事もなさそうだし、「僕でなくとも出来る仕事」ばかりなのだ。

あれ?僕でなくても良いならなぜここにいる?なんて思いながら、無責任な状態を楽しみながら、ブラブラしていた。

あれ?ここの斗栱(ときょう:梁や桁にかかる力を分散させるための木組み)よく見りゃちょい変わってるぞ。これは3Dで残すべき木組みだ。新たな発見に一人気をよくする。



最後に化粧幕を張り作業は終了。

久しぶりに会ったいとこが仕上げの幕に何かと指示を出している。

その腰付きが悪くない。

2015年8月27日木曜日

妙な物が意外と興味を引くらしい


財布代わりに使っているカードケースの記事が意外と安定したヒットがある。
毎月50以上のヒット数。たいした数字ではないが、中身のない小物なのに、へぇぇ・・なのだ・・。
低空飛行なのだが毎日必ずヒットがある記事は珍しい。

上のリンクは昨年6月の記事。そこで、下は今はどうなっているかの写真。

変わったのは硬貨が当たる部分に、一般の財布の内貼りに使う合成皮革を貼ったのと、同じもので硬化落下防止の為のベロ(何というか判らない)を付けた事のみ。

ビンボ臭い?ビンボだからこれでいいのだ。
よく長財布がスマートと言うが、長財布なりの金を支払う仕草がスマートなのであって、それは経済的な戦士スタイル。よれたジーンズしか着ないオッサンは、経済行為から離れた役柄なので財布は極小なのだ。

好印象かどうかを決めるのは、財布その物のデザインではなく、役柄やシュチュエーションだろうね。ウォレットチェーンを付けてまで、ジーンズの尻ポケットに何やら分厚い財布らしいものを突っ込んでいるのはどう見てもスマートには見えない。

長財布もそうだが、金を払う時如何にさりげなく行うかなのだろうが、「それが財布かよ!」と言うのも一つの遊び。(コンビニの人達は財布と客の動作をよく見てるね。)

ま、もう少し高級な仕上げにしてやってもいいのだが、面倒くさい。(その内やろうと思ってるが)

これで何かの拍子に硬貨の音がしたり落としたりすることは無くなった。相変わらず床付けもしない皮を貼り付けたままだが、何の不自由も感じない。

よくwebで見かける「薄いとか小さいとか」を売りにしている財布もあるが、全然欲しいとは思わないほど容量と大きさに利点がある。

大きさはカードケースというのは何にしても利点。これ以上小さくは出来ない大きさ。更に改造する事はあるだろうけど、僕はこの路線で行くだろうね。


2015年8月6日木曜日

ふーすいすい

12歳の頃、中国の東洋占星術にはまって、ついでに西洋占星術をやってみた。すると、西洋占星術がまるっきり東洋占星術のパクリだと言うのが分かった。

中学生なりに「おーこれがシルクロードか」なんて感心してた。

その後、いわゆる今風に言うとブラックマジック・ホワイトマジック(ダヴィンチもこの頃なめた)、それ系のオカルトや聖書やバラモン、その他の新興宗教本、ギリシャ神話あたりで、平行してギリシャ哲学や現在に至る心理学などを読み漁り、日本のではオカルト澁澤龍彦を一通りかじった思春期。


まぁ、それぞれ本の上澄みを読んだだけなので、たいして役にも立ってはいないんだが、今なら、かなり危ない犯罪に走る寸前の若造と評されただろう。

人間、無い物ねだりをする時に道を踏み外すのだが、読んできた物は全て「現実には無い物」。
最近ニュースになっている「人を殺してみたかった」のような情動から得られるものは無いに等しい事は知っていた。

だからそれに類する事件を耳にするたびに、マスコミが異常性を際立たせるために言う「殺してみたかった」と言う表現を目にするたび違和感を感じる。そんな「個人を異常に仕立てあげる」のではなく、現代の「死に至る情景」を見たことが無い世代が多くなった異常性に着眼すべき、と思う。
ま、それはこの件に関して関係ないが・・

ヨーロッパやイスラムの、権力者側のコミュニケーションツールとしての建築を見て「そう言えば西洋建築学は体系としてあるが、東洋の建築学は無い」事に気が付いた。

それに代わる物として、環境工学として地理風水を読みたくなったのが25年ほど前。荒俣宏がデビューしたての頃だ。

この本はその頃「中国の文化大革命などや度重なる焚書で、大陸には風水の本が無い」と台湾人に近しい人に言われて購入した本。

今でも基本路線の風水が残っているのは、台湾・香港・沖縄(隠宅のみ)。韓国は国民性なのか、まじないの中の呪いの部分しか残っていない。相変わらず富士山に見立てた岩を毎日叩いている。ww

どうでもいいことだが、どくたぁ なんとかと言う 自称風水師が居てそれにつづく連中が日本にもいる。

言っておきますが、風水師とまじない師は違う。
面倒だから省略するけど、弁護士と司法書士ぐらい違うのであります。

日本のアレ達は、みんなまじない師。風水は権力者の物だったけれど、万民の為・政策として使われた物。個人の欲や怨念などを増幅する為、あるいは不幸を押し付ける為に施術を行う、まじないとは違う。風水は今の中国が忘れてしまった、他を活かし共栄共存、これに基づいている。我欲の物ではないのだ。

古代中国での科学と言う体系の下、地理風水は書かれている。この裾野は医学薬学まであり、その延長に現代に残る鍼灸や漢方がある。また天文学東洋占星術や地学地勢学もある。構造力学・材料学もこの体系に含まれている。学問のブリタニカ東洋版と言ったところの物だ。

自称風水師達の商売を見て思うのだが、金を払う側も「えんたーてぃめんと」の代償なのだろうからどうでもいいが、その連中が近くに居る時は許しませんよww。
頼まれて、大手建設会社の営業マンたちにも「まじない手口と論破方法」講習をやった事もある。ww

唐突にFBで「風水」の文字が目に入ったもんだから、本棚から引っ張り出してみた。
相変わらず「原書 地理風水」にしては底が浅い。
まぁ細かい所はどんな宗教でも後付なので「原書」としてはこれでいいのか・・・。

追記:
googleで検索中、国土交通省で こんなのがあって 笑わせていただきました。