2017年3月3日金曜日

コブとり爺さんの話

コブとり爺さんの話
  
昔或る村に、それぞれ片方のほっぺたにコブが有る二人のお爺さんが住んで居ました。二人は「似た者同士の縁」で隣同士に住んでいました。

子供たちがコブを馬鹿にして、からかうのを聞いても、一方のおじいさんはニコニコしているが、もう一方のおじいさんは、からかう子供たちを怒る人でした。それを見た村人は「良いおじいさん」と「悪いおじいさん」と呼ぶようになりました。

ある日「良いおじいさん」は山に出かけ雨宿りをしているうちに眠り込んでしまいました。すると、何やら楽しそうな宴の音がします。そっと物陰から見ると彼らは人を食うという恐い顔した鬼達でした。

しかし余り楽しそうな宴なので「良いおじいさん」は踊りたくなり、鬼達の前で陽気に踊りました。

鬼はこのおじいさんを見てよろこび、「必ず明日の夜も来てくれ、これは明日まで預かる。来てくれたら返す、もし来なかったらひどい目にあわすぞ」と、おじいさんの体の一部のコブを取ってしまいました。

コブが取れて大喜びの「良いおじいさん」。朝になり山から帰って隣の「悪いおじいさん」にこの事を話しました。

「悪いおじいさん」はさっそく隣のおじいさんから聴いた鬼との約束の時間と場所の所に行きました。でも「悪いおじいさん」は「良いおじいさん」のようには上手に踊れませんでした。

すると鬼たちは「下手くそだな、つまらない」と言ってがっかりしました。でも「約束だからこのコブを返すぞ」と言って「悪いおじいさん」のもう片方のほっぺたにコブを付けてしまいました。

それ以来「悪いおじいさん」は両側のほっぺたにコブを付けて暮らしました。
めでたしめでたし(他人の成功をうらやんではいけないという教訓)
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この話の解釈には色々ある。
代表例として
「良いおじいさん」が調子に乗って、通常は人と鬼との相容れぬ関係の鬼たちに飛び込んで踊り、運よくウケ、明日も楽しませてくれ、必ず来るようにと約束した。その約束の担保として身体の一部のコブを取られた。

「良いおじいさん」はうまく行って大喜びで隣の「悪いおじいさん」に話すのだが、コブが約束の担保になっている事は話したのだろうかと言う疑問。「良いおじいさん」には鬼との約束を守るつもりはなく、「悪いおじいさん」もそれを知っていたならばノコノコ鬼たちとの約束の場に出かける事はない。
その上「良いおじいさん」は「約束を守らないとひどい目に合わせる」と言う鬼との約束から逃れようと「悪いおじいさん」を利用したのではないか。「悪いおじいさん」は不都合な現状を良くしようとする努力の人で「良いおじいさん」は、本当は自分の利益の為他人をおとしいれた悪い人ではないかと言う説がある。
 
「良い」「悪い」は所詮レッテル。だが、それで思考停止になって先入観が出来てしまう怖さの教訓でもある。「悪いおじいさん」には同情するしかない(笑)
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まぁ、この話には宗教解釈・精神分析解釈やプログラム的解釈など色々あるが「コブとりじいさん」をそろそろ実践してみようと思う。

最初の頃は、ずっと聞きたくもない事を我慢して聞いて居たので「耳にタコ」が出来たのだろうと思っていたシコリ(腫瘍)。ワルチン腫瘍と診断されたが良性。取り除くには手術しかないと言われたが顔面の神経が集中している所なので、手術で表情筋が動かなくなる事もあると告知されビビって数年経つ。

元々外見はどうでも良い。引きつった笑いは持ち味だし、コブを見つけて馬鹿にする人も見かけないので放置していたが、最近何の勢いなのか成長してきたので取ることにした。

まぁ顔面が一部マヒしてムヒヒ状態になっていても、中身は上の説の「悪いおじいさん」に変わりはない。

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