2015年8月31日月曜日

宗教的行事の準備に参加

報恩講の準備に駆り出された。
初めていくので、と言うより他人と共同作業と言う場面が苦手なので気後れしている。
が、とりあえず身内の顔を見つけて仕事をする。(実は今までになくパニクッタ)

講師とか、プレゼントか、通常の仕事とか、別もの扱いされているならば、やることは決まっているので迷いもないのだが、今日はどういう訳か気持ちが揺れた。

まぁ、やって見ると世間話合間に手を動かしているような物なので気楽でぬるい仕事なのだ。そうかこう言う仕事なのか・・。

思うにこう言うコミュニティ類の仕事の知恵と言うのは、普段やっている「責任が~、使命が~」などと、覚悟抜きには出来ない仕事と違って、その人の持っている能力のほんの一部分を使うのがルールなのかもしれない。

正直今まで、そう言う気楽な取り組みはしていなかったな。やると決めたら全力。だから周りも辛かったかもしれない。(NPO時代を思い出す)
だけど、どこで手を抜けばよかったんだろう・・・。

 体力的に疲れる仕事もなさそうだし、「僕でなくとも出来る仕事」ばかりなのだ。

あれ?僕でなくても良いならなぜここにいる?なんて思いながら、無責任な状態を楽しみながら、ブラブラしていた。

あれ?ここの斗栱(ときょう:梁や桁にかかる力を分散させるための木組み)よく見りゃちょい変わってるぞ。これは3Dで残すべき木組みだ。新たな発見に一人気をよくする。



最後に化粧幕を張り作業は終了。

久しぶりに会ったいとこが仕上げの幕に何かと指示を出している。

その腰付きが悪くない。

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