2016年8月22日月曜日

日本のヘイトスピーチ対策法 大丈夫なんでしょうかね。

Facebookに書いた物もメモ。
差別とひとくくりに言ってしまう乱暴さがある。

人間はみな等しく扱うべきだ。  単純にこのようなストーリーの中で日本の「差別を嫌う」ことは正義だと戦後教育は国民の倫理観に叩き込んだ。

全てが平等でなければいけない。  社会背景などを一切無視した上での机上の空論にも近い事が正しい事と・・。そんな事が実現可能なのか?

動物でも植物でも序列が有る。遺伝子レベルでそうなっている事を戦後教育はどれだけ偉大な(ナンセンスな)事をさせようとしてきたのか。

僕は差別が有っても良い、とは言ってはいない。その様な同じ枠組みに当てはめるのではなく、あるべき評価も分類も多様でいいじゃないか。

まぁ、それは置いといて、在日外国人問題も同和問題も慰安婦も先住民問題も、ある一部の勢力が自分の利益の為に利用している。その為に社会的資産もずいぶんと浪費されて来た。

それらの一部が解決しようと言う時、今度は教育と経済問題とを絡めたものを社会問題化してそれを活動の場としようとする動きも出て来た。今まで積み上げた社会保護制度を否定して巣くう輩。

問題捏造ビジネスなど、そんな社会寄生をやめて、まじめに価値生産してほしいもんだ。



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