2017年10月4日水曜日

差別屋

道の真ん中に犬のフン。
急いでいるのと処理する道具もないので避けて通る。人通りも少ない通り。放置していても乾燥風化してしまう。良いとは言わないが、掃除用具や時間がない時の次善策は放置。犬のフンの取扱いはそんなもんだ。真剣に取り組んだりはしない。
ここに(自称)正義の味方の差別屋登場。
誰が見ても犬のフンなのに、ワザワザ「コレは犬のフンです!」と看板を掛けて回る。このフンは、何処の誰のイヌで成分は何々である。コレは普段から食べさせているドッグフードがアレコレなので・・と分析しその特徴を判りやすく際立たせ標本化して展示物にする。
最初の頃は周りも物珍しさもあって何をやるかを見ていたが、自称正義の味方も注目が集まるのがうれしいのか、それを「使命」だと勘違いしてしまったのだろう。いたるところの犬のフンを収集し展示する様になり、往来の邪魔となってもそれが成果だと思いこんで疑わない。
元々は犬のフンを放置する事への反省をうながす事だったのだろうが、今は見える所をフンだらけにしている。それらの展示物は通りを汚し通行の障害物とさせている。
全く反省の無い連中、困ったもんだ。
通りを見苦しくさせているのはイヌではなく、既に自分達であるとの自覚がない。

差別は有って良いのだ。
人種・肌の色・国籍・職業 いわゆる差別問題に取り上げる「差」や「違い」は全て各個人の特性だ。それは必然であると、それらは受容してから建設的な話が始まる。生物的・社会的に平等などという事はありえ無い。いつまでも従来の「差別問題」などと言うレベルでは、それに言及する・あるいは表現すると途中回路が飛んで「差別問題」に飛躍する。

問題なのは、それぞれの「格差」その後の処遇をどうするかで合って、差別そのものではない。差別を表現する言葉を隠すことではそれらは解決しない。ただの言葉狩りにしかすぎない。

NHKが数年前ヘイトスピーチに関して特集をした。その結果、また低いレベルでの言葉狩りが始まっている。
犬あっち行け!(NHK) とまたおそまつな事を思い浮かべてしまう。





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