今日は天気もよく午前中はボーッとしていた。
思うに、地球上に生きるすべての生物は、自分の子孫を残すためのエネルギーを求めている訳で・・・。
植物はエネルギーとなる糖を創り出すために葉緑素を持つように進化し、それを収奪する生物が進化し、人間はそれらを食らって生きている。
人間はさらにそのエネルギー源の獲物を、貨幣に換算するというとんでもない発明を行った。ところがこの発明はやはりとんでもない物だった。
単にエネルギーとの交換メディアだったものが、エネルギーそのものよりも便利、コレさえあれば世界征服!と、血眼になって求められ、現在は、本末転倒の状態ときたもんだ。
多分人間は、地球上の全生物に共通にあるモラルをこの時点で踏み外したのだろう。だが、いずれエネルギーバランスを崩す、その事には気づかず、むしろ正当化・奨励し、まとめたマニュアルが経済学。やれ、めでたや。そのおかげで、物と切り離し「実態のない価値と約束」を元にした偽金が正当化。傷はどんどん深くなる。
これだけ多くの人間が叡智を持ってしても、「その先」が常に怪しいのは何故なのか。信憑性は錬金術と大差ない。スタートの時点で間違ったものだから「真理」などには永遠に到達せず、予測もカスリもしない。常に状況に合わせてつじつま合わせの絆創膏を張っている。
そんなものを根幹においた政治もしかり。予測がつくなら浅ましい争いはしないのが道理。誰も見えていない事の必然として、見えてきたものに真っ先に食らいつき、利権を争う構図となる。戻れない所まで来てしまって、ああ、情けなや。
エネルギーメディアと言うと電気や石油・原子力など、電気に換算できるものとしてとらえられているのが一般的だが、建築も昔から権力や宗教布教のためのメディアだった。どれだけソレがエネルギーを持っているかの表現。宗教的建物や城や宮殿。あのウザイ装飾類はみんなそのへんから派生したもの。
その点、日本の数寄屋は特殊な宇宙。人である為の関係を、形でなくその精神性に価値を見出した。昔の日本人はエライ。だから、その直後から茶道具を取り合うような権力者や、それを忘れつつある今の日本はエラくはない。そう言えば歴史も金の亡者達の事ばかり。アホらしい。見方を変えれば犯罪史じゃねぇか。もう少し本当に進化させた人達のことを勉強すればよかった。
建築家が本格的に、エネルギーから離れたジャンルである住宅を設計し始めたのはつい最近のこと。でも、それでも「他よりはちょっと良く」との依頼者の心理には、エネルギーを持つ者の遺伝子が残っている。まぁ、それは可愛いモンで、他の動植物が同様に行う「かっこ良さ」を求める程度なので、進化過程に必要、と言えなくもない。
エネルギーを求めるのは当然の事でそれ自体は悪くはない。センチメンタルに「人間は地球上の癌」などと懺悔したところで、説得力も含蓄も無い。癌なら癌に徹し、その本分(なにかわからない)を全うするのがイサギ良い。
ただこれからは、皆が求めているエネルギーなのに、自分では活かせないエネルギーを無駄に貯めこんで、腐らせる事に気が付かない人間が多くなる時代。いわゆる格差社会とは、活動エネルギー格差が大きくなることだ。無駄に貯めこむ人間はエネルギー系全体から見ると犯罪行為。なんとそれはエネルギーロスなのだ。人間としてと言う以前に、生物としての自覚が足りん。
機械のシステムから行けば、効率の悪いエネルギーロスの多い歯車は取り替えることになるが、経済界自体あるいはその大半が、そのエネルギーロスだったりするのでたいそう始末に悪い。そう言うのが沢山いるとしても「許容範囲」であるはずがない。「多くに迷惑をかけている存在」を普通、そういうのを「悪」と言うのではないか?
日和見で現状分析にかまけているだけで、将来を見通せない経済学者も、エネルギー系の知識を持てば、もう少し世の中は良くなるかもしれない。まっとうな生態学やエネルギー工学者なら、錬金術的経済学のアホさ加減を見抜くだろうに・・。
多分、と言うより絶対に経済学に詳しい者は僕の妄想をドシロウトが、と否定する。ならば、ほんのちょっとで良いから、世界のドシロウトの皆が納得の行く経済配分というものだけでいいから見せてくれよ。
今現在、金銭こそが優秀なエネルギーだとして、世界中がそれを収奪するために、効率とか技術開発とかあらゆる開発行為が行われている。動いている間は文句が出ないだろうと・・・。
人間が道を踏み外した事に気が付き納得が行くまで、後何世紀かかることか・・・。
もうすぐ春だなぁ・・・。
思うに、地球上に生きるすべての生物は、自分の子孫を残すためのエネルギーを求めている訳で・・・。
植物はエネルギーとなる糖を創り出すために葉緑素を持つように進化し、それを収奪する生物が進化し、人間はそれらを食らって生きている。
人間はさらにそのエネルギー源の獲物を、貨幣に換算するというとんでもない発明を行った。ところがこの発明はやはりとんでもない物だった。
単にエネルギーとの交換メディアだったものが、エネルギーそのものよりも便利、コレさえあれば世界征服!と、血眼になって求められ、現在は、本末転倒の状態ときたもんだ。
多分人間は、地球上の全生物に共通にあるモラルをこの時点で踏み外したのだろう。だが、いずれエネルギーバランスを崩す、その事には気づかず、むしろ正当化・奨励し、まとめたマニュアルが経済学。やれ、めでたや。そのおかげで、物と切り離し「実態のない価値と約束」を元にした偽金が正当化。傷はどんどん深くなる。
これだけ多くの人間が叡智を持ってしても、「その先」が常に怪しいのは何故なのか。信憑性は錬金術と大差ない。スタートの時点で間違ったものだから「真理」などには永遠に到達せず、予測もカスリもしない。常に状況に合わせてつじつま合わせの絆創膏を張っている。
そんなものを根幹においた政治もしかり。予測がつくなら浅ましい争いはしないのが道理。誰も見えていない事の必然として、見えてきたものに真っ先に食らいつき、利権を争う構図となる。戻れない所まで来てしまって、ああ、情けなや。
エネルギーメディアと言うと電気や石油・原子力など、電気に換算できるものとしてとらえられているのが一般的だが、建築も昔から権力や宗教布教のためのメディアだった。どれだけソレがエネルギーを持っているかの表現。宗教的建物や城や宮殿。あのウザイ装飾類はみんなそのへんから派生したもの。
その点、日本の数寄屋は特殊な宇宙。人である為の関係を、形でなくその精神性に価値を見出した。昔の日本人はエライ。だから、その直後から茶道具を取り合うような権力者や、それを忘れつつある今の日本はエラくはない。そう言えば歴史も金の亡者達の事ばかり。アホらしい。見方を変えれば犯罪史じゃねぇか。もう少し本当に進化させた人達のことを勉強すればよかった。
建築家が本格的に、エネルギーから離れたジャンルである住宅を設計し始めたのはつい最近のこと。でも、それでも「他よりはちょっと良く」との依頼者の心理には、エネルギーを持つ者の遺伝子が残っている。まぁ、それは可愛いモンで、他の動植物が同様に行う「かっこ良さ」を求める程度なので、進化過程に必要、と言えなくもない。
エネルギーを求めるのは当然の事でそれ自体は悪くはない。センチメンタルに「人間は地球上の癌」などと懺悔したところで、説得力も含蓄も無い。癌なら癌に徹し、その本分(なにかわからない)を全うするのがイサギ良い。
ただこれからは、皆が求めているエネルギーなのに、自分では活かせないエネルギーを無駄に貯めこんで、腐らせる事に気が付かない人間が多くなる時代。いわゆる格差社会とは、活動エネルギー格差が大きくなることだ。無駄に貯めこむ人間はエネルギー系全体から見ると犯罪行為。なんとそれはエネルギーロスなのだ。人間としてと言う以前に、生物としての自覚が足りん。
機械のシステムから行けば、効率の悪いエネルギーロスの多い歯車は取り替えることになるが、経済界自体あるいはその大半が、そのエネルギーロスだったりするのでたいそう始末に悪い。そう言うのが沢山いるとしても「許容範囲」であるはずがない。「多くに迷惑をかけている存在」を普通、そういうのを「悪」と言うのではないか?
日和見で現状分析にかまけているだけで、将来を見通せない経済学者も、エネルギー系の知識を持てば、もう少し世の中は良くなるかもしれない。まっとうな生態学やエネルギー工学者なら、錬金術的経済学のアホさ加減を見抜くだろうに・・。
多分、と言うより絶対に経済学に詳しい者は僕の妄想をドシロウトが、と否定する。ならば、ほんのちょっとで良いから、世界のドシロウトの皆が納得の行く経済配分というものだけでいいから見せてくれよ。
今現在、金銭こそが優秀なエネルギーだとして、世界中がそれを収奪するために、効率とか技術開発とかあらゆる開発行為が行われている。動いている間は文句が出ないだろうと・・・。
人間が道を踏み外した事に気が付き納得が行くまで、後何世紀かかることか・・・。
もうすぐ春だなぁ・・・。
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