【講 師】
隈 研吾(隈研吾建築都市設計事務所代表)
鈴木輝隆(聞き手/江戸川大学社会学部教授)
まず、経歴など復習する。
復習 隈研吾氏(これは僕のおさらい。会場でのスライドとは関係がありません。文もどこかの誰かのではなく、僕の感想。)
ポストモダン時代1991の環八沿いの《M2》かってのマツダショールーム、現名称は東京メモリードホール |
栃木県那須市石の美術館2000 |
那珂川町馬頭広重美術館 (2001年 第14回 村野藤吾賞) |
隈 研吾 氏は昔こういうのを描いていたのだけど、この時は世間を騒がせた。トンデモなく騒がせたのを記憶している。
まぁ、どう話題になったのかは好き勝手に想像してもらうとして、田舎の映画・芝居小屋存続物件を転機に、最近は自然素材を扱うようになった。
びっくりしたのはM2と石の美術館とのギャップ。同じ設計者?なのか?一体何が有った?
それが梼原町との出会いだったらしい。
ここには庁舎などの建築が有る。
この石の美術館は、民間の石業者のためのものであまり大きくはないが非常に好感が持てた。
一つの石の組み合わせをエレメントとして繰り返して使っていく・・なるほど。
その次目にした写真がコレ。
馬頭広重美術館。安藤忠雄がソリッド感だとすれば、こちらは直線構成でいくわけだ・・。
春日井市:プロソリサーチセンター2010 |
何だかスゴク気にかかる。
釘を一切使っていないと言う格子。
木組みを行う文化圏では。釘を使わないことが誇りになっているが、そのための労力・強度・コストパフォーマンスは?と貧乏臭いことがカスメル。
英国スコットランド:ダンディーの 国際デザインセンター2013 |
最近は、流行りのアルゴリズミックデザイン手法を分業制(専門職?)で取り入れているようだ。
- アルゴリズミックデザインとは、3Dsoft(Rhinocerosやsketchup)+plugin:Grasshopper などが小道具。
- 先に曲面のような感覚的なものを決め、それを構成する材料の角度寸法は、数値入力で自動計算で行うというもの。5-6年前から若い建築家の間(3Dデザイン世代)で流行っている。
- 世界中のコンペ案が、ウニョウニョしてきたのはみんなこのソフトの影響と言っても過言ではない。生産側は当然NC対応必須。
- でも、いくら描けるようになったからといって、みんなはしゃぎ過ぎでしょ。一つのプログラムがこれほどまでに建築を変える?あんだけザハ・ハディットをケナしておいて・・?(彼女はもうこの手は使ってない)
- 独創的であるはずの建築家の皆さん、TVゲームに熱中した子供のように、熱中しすぎよー!と思う。お母さんに叱られるよ・・。
- だがまだ表面の化粧部材の構成に限られているようだ。構造もやるなら3D有限要素法で解くしか無い。多分それはとてつもなく自慢の種のはずだが記述はない。
え?材料素材は決定していて、この方法だからこそ、パラメーターの数値一つで、全体質感が変わってしまうのに人任せ?と僕は思うのだが、そう言えばそれも貧乏事務所の発想だった。
アハハ・・・はぁ orz。
建築には色んなアプローチの仕方が有るので正解はない。隈研吾氏は毎回その建物を特徴付けるテーマは、極めて限定的に制限しているのだろう。この点はポスト・モダン時から変わらない。以前にはテーマは大きさだったのが量に変わっている。それで均一に埋め尽くす手法。このアルゴリズミックデザインは、むしろ彼の建築に向いているのかもしれない。
今や超売れっ子の隈研吾氏だが、最近の著書に「小さな建築」がある。それについて「約10年ほど、小さな建築のプロジェクトを年にいくつかやってきて、まとめてみたいと思っていたんです。小さい建築をつくることがどんな意味を持っているかを、震災であらためて考えました。3.11が『大きな建築』から『小さな建築』へと私たちを押し出してくれている。そう思えています」と言っている。
江戸川大学社会学部教授
みつばち先生と呼ばれているらしい。
日本各地(ローカル)には、さまざまな産業があり、それに関わるさまざまの人々がいるが、しかし、デザインが今ひとつだったり、情報発信力に乏しかったりすることで、その産業や産物が世の中から見逃されてしまうケースも多々ある。
そうした見逃されてしまいそうな地域(ローカル)に"咲いている花"を素早く見つけ出し、それらを優れたデザイナーやアーティストといった "才能"と的確に出会わせ、双方に稔りのある結果をもたらすことを仕事とするとのこと。
隈研吾を聞きに行く の3
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