2015年10月5日月曜日

「昭和の湯」と書いてあった。

一月ぶりに温泉に行ってきた。

背中に手術跡。現在、肩甲骨あたりに半開きになった唇が付いている。
後頭部に唇ならハリーポッターか何かのお化けだが、背中では鬼太郎に出て来るような妖怪の類。
 
「それ見ると他の人はびっくりするからなるべく見せない方がいいかも」と言われてたので、人に逢うと顔を合わさないようにすればいい。だが、それじゃ背中を見せることになるのに気が付いた。
 
という事で、地元のマイナーな温泉宿に行くことにした。
 
そう言えば、この小さな浴場なのだが、30年以上昔に僕が書いたもの。
予算上、意匠を凝る余裕も無いし、スペースも周囲上部にも限界が有って何の変哲もない箱しか作れなかった。そして、鉄筋コンクリートをミス無くやれる業者でもなかった。

温泉の浴場は難易度が高い。建設材料が劣化する速度が速いので、どの程度メンテナンスを想定しているのかが気になる。まず、温泉成分との化学変化・・。並の建設工法・材料では失敗する。

出来れば同時期に建てた公共施設と同じやり方(懐かしのセラミックブロック)でとの要求だが予算がない。それにあれじゃ熱損失がひどすぎるし、細部が弱い。
また大手設計事務所が手掛ける派手な民間施設の工法では劣化が激しすぎる。
仕方が無く、その時代では例が無い鉄筋コンクリート外断熱(外断熱と言う言葉すらなかった)で作った。
僕にしては珍しくひたすら地味(笑)

コンクリートも空気連行のAE剤を使用せずの、常識外れの緻密化コンクリートの配合設計(そう言えば最近やってないね)をして躯体での防水。更に最初の塗装なので、躯体浸透し化学変化保護する灯台用の塗料を採用した。

実際施工業者も、生コン製造プラントも、塗装屋も、勿論施主も、「田舎の貧乏図面屋が何能書きこいてるんだ?」とばかりで、誰も理解も評価もしてくれなかったのだが、これらだけは妥協しなかった。
35年?近く経って見ると案外状態は良いようだ。

そりゃ経年変化と、予算が無く断熱仕様に出来なかった窓廻りには一部修理の形跡。
コンクリートヘアクラックの跡はあるが、躯体全体の中性化や劣化は未だにない。
上階の床高に合わせる為の苦肉の策の、鉄筋が混み合う扁平梁も変化は無い。

一人孤立し、最後まで理解されないまま工事を終えた。
ただの図面屋として仕事をしただけと扱われていたので、工事関係者からも事後の連絡は無い。
ひさびさに顔を合わせた施主も、僕の顔すら忘れていた。

とにかく、どうやらメンテナンス費用は格安で収まっている。
大手設計が手掛けた同時期に建てた温泉は、すでに解体・建て替えされ、別の鳴り物入りで建てた派手な温泉も、10年周期でメンテナンスに明け暮れている。

ほら、違いはこれなのさ。
維持できている。
35年経っての自己満足。空しさも感じるが、まぁいいか・・・。



案の定、温泉には誰もいないので、背中の妖怪を見られる気遣い無くのんびりできた。

湯上り奥さんを待っていると、どこからか昭和の香りがするギターの音。
フォークっぽい循環3コードのみの曲。いい感じでチューニングがずれて、湯上りのだるさにちょうどいい。


帰り際、玄関を振り向くと「昭和の湯」と有った。
それならもうちょっと、それなりにデザイン更新しようよ(笑)
関与しなかった部分の劣化が激しいww


帰る車の中「あの温泉浴場、昔、俺が書いたんだよ」と奥さんに言った。
「へ~・・・」 それだけだった(笑)

0 件のコメント: