2015年2月13日金曜日

仕事の道具はフリーソフト

jw_cad

僕のjw_cadのフォルダーは、自分の作ったコマンドなどどんどん放り込んでいて、一番歴史が古い。機種などが変わってもそのまんま継承されてきている。
それもズボラなせいで(もちろん図面データーは別だが。)2Gを超えている。(本体プログラムは残っていない)

この中で一番古いのが1993年のデーター。(まだ探せばあるのかもしれないが、ちょっと見で)
これDOS-V時代のだ。コマンドツールのJGKWKで出力したもの。ワオ!


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僕のCADはAutoCAD2 (多分)タブレットコマンド入力から始まって、その後マウスの操作方法が定まり(そう言う時代)GX-3と-5。ナマで使っていた。

日本では「図面がパソコンで描ける新技術のCAD」は物づくり分野で関心が高かった、創世記パソコンコミニュケーションツールだったPC-VAN、Niftyにも当然その話題は上がる。

新しいCADソフトが顔を出しては消えを繰り返していた頃、杉並区役所のオタク(清水氏)がjw_cadのNiftyフォーラムを立ち上げた。

清水さんが作るCADはそのフォーラムに発表され、即座にその使用感やコマンドの改善案などが全国のユーザーから寄せられた。そしてそれを開発側の清水氏はクリアしていった。それはもう目まぐるしい更新の嵐、昂奮した。


設計者が一本の線を書くのにもさまざまなアプローチがある。自分には自分だけの癖がある。いや、皆自分の事しか知らない。これがJWCADのフォーラムの交流の中で「お前、そこから描くのかよ!」と言う、設計者同士のかつてない驚きがあったのだ。もう必死に「図学」にしがみついている人やそれを「なんだそれ?」と言う人が集うと、トンでもなかった。


だが、参加している人たちの意思は「よいCADとは」の一本に絞られていた。「jw_cad新しいのが載ってたのでダウンロードしたった」と言うのは一つの挨拶のようになっていた。

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ちょうどコンピューターも、「神器PC98類」かDOS-Vか、DOSかwindouwsかの大転換期を迎える前だったのだろう。
wikipediaによるとjw_cadのあまりの進展を脅威に思った、日本パーソナルコンピュータソフトウェア協会は1994年に対策会議をやっている。その会議の前、以前から、そっち側に近い事もあって「JWCAD(windows前はコッチの名称)はそんなにいいのか、対抗策とか欠点を探してくれないか」との要求があった。

その時そこの協会の親分(自分でそう言ってたw)に、

いや、そっちじゃないんだよね。JWCADはすでにソフト開発思想の運動みたいなもので、図面を書いた経験のないプログラマーが作るコマンドと、JWCADが目標とするコマンドとはもうすでに開きが出ている。

例えば、作図する人たちには、寒い部屋でこたつに入りながら手を出すのが億劫な時がある。(北海道ではコタツは無い)。これはフォーラムの中で、コマンド作成時の実際にあったエピソード。

プログラマーはキーボードにブラインドタッチで華麗にコマンドを打つが、現場では何とかマウスだけで描きたい。それも手袋をした状態でだ。JWCADはそのユーザーのささやかな望みまでも汲み上げている。そうした作図現場との一体感がコマンドに現れている。ソフトウェア企業にはまだそれが無い。皆さんのところのプログラマーは狭い中で仕事をしてきた。開かれた評価の中での訓練が足りない。今皆さんに必要なのはそれだと思う。


どう見ても場違いな、田舎で個人で設計やかナンかわからない事をやっているチョンマゲオッサン(当時)が、そんな事を言って大ヒンシュクをかった。(笑)

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ここ数か月jw_cad絶不調!なので、久々に昨日メンテナンスをした。いくつものデーターがダメになる不調。3段重ねのバックアップ体制で事なきを得てきたが、10日前後の手戻り実害が生じたので流石にメンテナンスの必要に迫られた。すでに修復終了。

その時期のJWCAD用のデーター。1993年の頃のオプションデーター・・・。僕は細かい寸法はExcelで計算してjw_cad用に出力していたので、多分清水さん作の元ネタかもしれない。

これは整理すべきではないな・・・と思った。

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