2015年7月15日水曜日

方丈記の方丈庵-5 外装の変更

ふと、旧来からの友人と話していて思いついたので試してみる。
主な骨組格子はそのままにして、網代貼りだった蔀戸、板張りの舞良戸を障子に変更してみた。
妻の網代パネルはそのまま残している。





そう言えば日本には昔から「防水紙」があった。
和紙に菜種油等を含浸させた物だ。
時代劇の長屋に見られる障子、アレ。

多分鴨長明の時代にもあったはずだ。

ただ、鴨長明自身が記述しているように、この方丈庵にはそれは無い。
まぁ、元祖プレファブ・モバイルタイニーハウスとして記録に残る「方丈庵。」
このぐらいの遊びは良いだろう。

格子をそのままにしているので、まだ少し検討する必要があるが、思った通り現代的表現になる。
ふーん・・。面白い・・・。

方丈記関連
1.方丈記の方丈庵-1 日曜日なのでTinyHouse
2.方丈記の方丈庵-2 今までの研究内容に納得がいかない
3.方丈記の方丈庵-3 ディテールについて
4.方丈記の方丈庵-4 カーテンウォール「網代」
5.方丈記の方丈庵-5 外装の変更

2015年7月8日水曜日

気になったTinyHouseを写真から起こしてみた。(sketchup)

前から気になっていたTinyhouseがあったので3D化した。手掛かりは写真のみ。(元ネタの写真集)
この写真集の撮影にはきちんとした照明機材を用いているようで、こちらも多少外部に照明を当てた。大きさはほぼ8畳間なので撮影には各種のレンズや補正を用いている。プロ・・だね。
まずは一通りこの写真集を見て欲しい。話はそれから。

サムネイルが元ネタ。家具その他は時間が掛るので手抜き。床のマテリアルも作らなかった。

でも、8畳と言う広さを改めて見直す。この中に台所もあればシャワー兼トイレもある。
2人で暮らすには狭いが一人ならば十分だ。

建築をやっている夫が設計し、妻にプレゼントした約8帖大の小屋。


外観:バルコニー付属だが、本体は8畳程の広さ
書斎 ワーキングスペース
居間部分 家具はしごも省略

収納付ロフト マットが置かれる

実は最初屋根勾配を間違えた(判らなかった)。空間寸法がどうにも
合わなかったとき、ふとこのサムネイルにある十字架で気が付いた。
この屋根勾配は、黄金比を用いていた。このダンナ・・やるわww

上の画像はちょっと暗いので マットを置いて光を拡散させた



















元ネタのwebには平面図などは無い。これは写真をスケッチした物。写真がプロの技が多過ぎて、SUのトレース機能は使わなかった。だから2・3cmの誤差はあると思う。


写真は巧妙にそれぞれのパーツの大きさを連想させないように写している。これには誤解を避けようとする注意深い意図と解釈している。

これは「なんだ、実際は小さいのか」で話が終わる人が多いから。そこじゃないんです。もちろん小ささを競う競技でもない。


TinyHouseの価値は、現実の物の大きさではなく、日本の茶室の様に心象的内省的空間の広がりにこそ価値がある。

写真集は十分それをとらえていた。
この設計者の意図はそこにあるのだろう。

何ゆえにこの狭さ。

実はこうなのだ。
建築は相変わらず権威を表現する道具でもある。
広さや大きさはその依頼主の経済的影響力の手っ取り早い象徴でもある。
その権威が空しい物に見えた時、いや何かに気づいた時、それを是としてきた建築家は猛烈な虚脱感に襲われる。そう言う失恋にも似た傷心感を持った建築家は案外多い。

コストパフォーマンスなどの経済や工学や建築学では到底ない話。さまざまな形で、一丸となって人の欲望に迫ってくる物欲等とも一線を引く。

それは、例えば「建築での愛情表現」と言うもの。こっちの方の話なのだ。

「広さ・大きさ」の対極にあるこの心理的建築設計手法は、晩年期のコルビジェやライトにも見られる。ルイスカーンにもちらほら・・・。それが自然に見えてくる。設計者の想いの密度が高まればこのようになるのだろう。

空間を小さくして、内省的空間を大きくする。
人間が持つ補完本能としても有効である。
しかし内省的空間感覚には個人差がある。
TinyHouseはまさしくその柔軟な尺度によるものなので、理解できない人も多数いる。
これは仕方がない事。



子供のころ誰もが体験した小さな空間。
あの時感じたワクワクした心は、外の刺激によるものではなく自分の中にあった物。
案外そこは広い。

2015年7月3日金曜日

#エネルギー政策

facebookに書いたモノのメモ




#エネルギー政策:(ローエネルギー=ローテクノロジーエネルギー=自然エネルギー) ローエネルギーにはローテクで対応するのがエネルギー利用の基本的基本、鉄則だ。 太陽光利用は自作の方が効率を良くする工夫がしやすい。どこのメーカーもそん...
Posted by 杉本 賢二 on 2015年7月3日

2015年7月2日木曜日

スーパーの売り場を見て思う。

そんなに手柄を立てたいかなぁ。
平穏な水鏡に石を投げ込んで波立たせる。
スーパーの売り場を見て思う。

そもそも、健康的食い物については、諸説入り乱れて何が正しいのか誰も判断できていない。
その時点での有力学説。これ自体も学説正否を多数決で決めるようなちと怪しい物。
後でまた、それに反するような物が出て来る。

学説は仮説からスタートする。
その仮説に基づいて、あるいは誘導するように組み立てられる。
建物の強度や性能も最初は仮説から始まる。
どう地震や強風被害から守るかによって骨組が計画される。
各種の性能も同じ。断熱や静粛性など、要求に応じた(誰かが得をする)仮説によって組まれていく。
 
必然、ある過去の性能を上回る技術が生じれば、それらの技術や視点は淘汰されていく。
一つの説のみがずっと居座るという事は無い。

栄養学の人達は「何を言う」と言うだろう。でも、常時放し飼いの人間たちが、常に食物を管理して環境も維持できているかと言うと、んなコタ無いわけで、やはり環境順応動物らしく、周りの雰囲気に流されながら生きている。管理できる状況あるいは強固な意志で。それは特殊状況なのだ。
 

「牛乳は体に良くない」と書いた一人の医師が居る。刺激的なこの説はベストセラー本になった。

今迄信じて来たモノに異論を唱えれば当然注目されるが、それは仮説と類推で書かれた物だった。

だが、真実性より新奇性のみが命のマスコミに取り上げられる事で、生産者は大打撃を受けた。

本当かウソかは知らん。誰にも判断がつかない。しかし、健康学説が正しいとしてみんな長生きしちまったら社会は崩壊する。

それは、あらゆる分野の全ての学説が目標としている社会構造維持からすると本末転倒だろう(笑)。長生きしたい連中に聞いてみたい。

「長生きしてなにがしたい、なにが出来るのだ?」 ま、それはおのおのの、欲得や煩悩の深さに応じて考える事。

だが生産者が窮地に置かれたことは事実だ。現在発売されている飲料の中で「命をはぐくむもの」として運命づけられて世に出たものは牛乳のみだ。後は人智で作り出した物。一つの物に「神の恵み or 人智」の2つの選択肢があったなら、僕は間違いなく神の方を選ぶ。

そして生産者も良い物を産みだしたい一心。(酪農業って一律にそうなので感心する)
いや牛が、配合飼料がどうあろうとも(日本のはまともだ、海外は知らん)、手を抜かないだろう。牛は間違いなく哺乳類代表として、性善説で乳を作り出している。手を抜こうなどとの不心得者の牛は一頭もいない。

神と生産者達の気持ち。この2つが有れば、もしも万が一この医師の仮説が正しくても十分飲むに値する。栄養などよりも尊い物だ。長生きしようがしまいが、それは神のご意志だろう(笑=浄土真宗) をう、牛乳信者で結構でございます。

笑っちゃうのが「牛乳の成分にあるこれが、こう言う体質の人に・・」と言う説明。それ、牛乳のせいじゃなく、支障が起きるその人の方の問題だろ。その人は牛乳飲まなければ解決してるのか?違う場面でも出てるんだろ?もしもそうならば相性悪いモノが判って良かったじゃん。特殊例を持ってきて手柄話(一般化)するなよ。(笑)

僕は、むやみに体に負担をかけるスポーツ愛好者や、身体作りのプロティン愛用者や、偏食代表格のベジタリアンや、病院通いが好きな癖に多重薬害を口にする奴や、サプリメント常用者や合成飲料がぶ飲み、酒や喫煙している奴や、ぷよっとしている奴が、この医師の説をさも信憑性があるように話すのを見ると「お前、馬鹿だろ!」との烙印をまちがいなく押す(笑)

その馬鹿達のおかげでバターを初めとする乳製品の生産バランスが狂った。
世を狂わすのはいつもマスコミが原因だ。それに流される連中、少しは落ち着け。
何だ都府県。お前ら、糖分たっぷりのコーラやポカリの方がマシだと思ってるのか?

 
「乳製品がダメと言う奴は哺乳類ヤメロ」。
これを言ったのは僕じゃないが、仮説の冗談としては少し信憑性がある。(笑)

2015年7月1日水曜日

デザイン design(計画)屋は因果な商売

芸術家は自分の思いや感情を表現するのに対して、デザイン屋は顧客の欲望や願望を「程度に合わせて」形にする。
一旦経済課題など現実に引き戻し鏡を見せて、異を唱えたり賛同したりの意見を言い、それから良い方向に持って行くにはどうするかという事を種々選択協議する。

社会性を帯びれば「それはしてはいけない」と異を唱える場合もある。これは実にリスキーな状況。
その相手が、自分自身への耐性が無い場合、これは両刃の剣。少なくとも相手の事を真剣に考えている、第三者一番目候補の私を対象に否定したくなる。だがそれは承知の上だ。

必然として「合わない」となる。
だが、ならば依頼者に迎合しただけのデザインを、そのまま世に出して良いのかと言う事。
依頼された程度、そのまま表現すればそれは楽だ。だがそれを世に出した以降変更には膨大なコストがかかる建築だからこそ慎重にすべきだ。

これは事前のシュミレーション。この段階では私一人だけだが、現実に反対する人がいるとしたらどう対処するのか。それが欠けているので覚悟のほどをあえて聞く。

こちらは「良い人である」「社会に貢献する」「有益な存在」と言う看板をさりげなく演出する。
少なくとも「自己中心的」「排他的」「教条的」など、いわゆるマイナスイメージにはフィルターをかける。でもそれはごまかしのオブラートではなく、一連のやり取りの中で、社会的に共感を産む本物となってほしいのだ。



数年前、ある専門分野で高度な名声がある事業主。商業分野での試験段階が済み、実施生産したいとの事で、生産工場を依頼された。
依頼に応じて、補助金等の制度資金など、資金計画を立てる期間、この事業の動機や目的・目標・将来像などをヒヤリングしていく。
その中で依頼主は「金・地位・名声」このビジネス事業で求めたい物は何なのか・・・。(ビジネスに住宅に求められるような安息はあり得ない)

結局僕が出した提案。
「全ての生産物はOEMとして、研究機能機関をつくるべき。これによって工場建設費用は不要になる。」
依頼主はぶち壊しの提案に最初びっくりしていたが、その点に関しては納得して生産工場事業化を見送った。

僕は自分の仕事を傍に捨てたが、これも田舎のデザイン屋の仕事だと思ってる。なによりも僕に声をかけてくれた恩に報いる為には、依頼者には絶対にハズレくじを引かせるわけには行かない。これが最優先。

デザイン屋の評価は表現した形とその運用と方法論が全て。
ではあるが、それに至るまでの根拠はある。感覚的ではない。
表現したのは結果だけなのだ。

実は市場調査や製品官能試験など、依頼主の成功の為の調査も行っていた。
持っている製法ノウハウはどの程度なのか、趣味の範囲かビジネスレベルか。
他社との競合は無いか・・。ノウハウ実現コストはいくらなのか。
これらの分析・処置は滅多に依頼主には説明はしない。
依頼主が知らなくて良い事は沢山ある。

2015年6月29日月曜日

23歳のころ・・の本

23だったと思う。(第一次オイルショックの時)恵庭の山奥の工事現場の飯場。
ドカチン仲間と夕飯後には焼酎をかっ喰らい、ヘロヘロになってこの本を読んでいた。

だから内容はかなり断片的にしか覚えていない。

まぁ、この説の心理学派と物理学者や対立学派間での論争とかが1/3程度を占める、ウザイ本だ。(笑)

そんなのが知りたかった訳ではなく、当時のウッスラ流行っていた構造主義を読んでいた時、ふと「心理的な優先順位」という事について疑問が湧いたのだ。
 
「優先」との位置づけは、心理学上どのような物であるか。

「デザインとは、数ある条件に対する解決策を、優先順位を持って解決する事。」なんて事を自己マン主張してたもんだから、その言葉に縛られていた。
 
そこには、言語空間で、あるいは心理空間で「上位」との位置付けがあるのだから、それは形に現れるのだろう。なんて仮説を持ってたので、このゲシュタルト(形態=ドイツ語)心理学と言う題名に惹かれた。

いや、それなりに読み返し、この本は役に立った。伝統的なフロイトやユングなどはまあどうでもいいが(笑)、他のオタクっぽい学派を理解する助けにもなったし、僕のデザインの方法論の一つにもなっている。

数十年ぶりに開いてみると当然のことながら目新しい発見は無い。
「他の学派はこう言うがそれは違う。俺たちゃこうだ。」 相も変わらず論争をやっている。
彼らのミニュチュアがページの上で騒いでいる。

お前ら、茶色いページの上でまだそんな事やっているんかよ(笑) 

2015年6月28日日曜日

日曜朝。僕ら夫婦の話題。

「他人に迷惑をかけてはいけない」
固く固く言われて来たこの言葉が、日曜日朝の僕ら夫婦の話題。

僕は周りに迷惑かけっぱなしなのだが、奥さんはそれは一線を守って来ている。
奥さんが、助けてもらってもいいんだと最近気が付いた、と言う。
何のことかと思ったら、
 
ちょっと沢山する事があって間に合わない時、手伝おうかと声かけられた。
普通だったら、いいです自分の仕事だから、と断って来た。
周りの人に聴くと他の人は手伝ってもらってる。それ聞いてああ、手伝ってもらってもいいんだと初めて思った。
との事。お前さん、そりゃ頑張り過ぎだな・・。ww ま、確かに彼女はそうなのだ。ひたすら頑張る姿は僕の支えでもある。
 
振り返ってみれば、過去にボランティア団体で参加していた時、偽善的と言う批判には「だからそれがどうした」との姿勢でやっていた。
「他人に迷惑」とか、そのレベルで世の中成り立っているのではない。とまぁそんな感じ。
 
そう言えば子供たちにもそう言って教えたかもしんないな・・。
僕も周りに頼ったことは無いのだが、活動する限りは何かしら影響はあったようだ。
一番の迷惑は家族だったに違いない。

 
所で、疑いもなく自分に言い聞かせて来た「他人に迷惑をかけてはいけない」は、いつ頃染みついたんだろうと思う。
僕らも父母からだったのだろうか。学校だったのだろうか。

オヤジは思いつくととりあえずやってみるタイプだったので、民主的な「家族会議」みたいな事にもチャレンジしていた。だがくじけるのも早かった。僕ら兄弟が意見を持つようになってからはその会議は開かれなくなった。(笑)そう言えば家訓らしい物もあった。(笑) 内容は・・うう・・思い出せない・・。

夫婦して心当たりを思い浮かべようとするのだが、該当者無しなのだ。
子供たちには教えておきながら、そのルーツが判らない・・。
 
「まちづくり」活動やNPOで動くときは、それらの政策や歴史などを否応なしに学ぶのだが、すべてはコミュニティと関連してくる。

「他人に迷惑をかけてはいけない」は、一切出ない。むしろそれが支障になっている場合が多いのだ。共働や自立や秩序維持、「他人が気持ちよくなる為」の無名性の配慮はあるが、関係を自ら断つようなこの言葉は滅多に見当たらない。

むしろ「人間は迷惑をかける存在なのだから(周囲と無関係では存在できない)」と、そこは(存在を)肯定しておかなければ、個人的にも社会的にも、話は進展しないのだ。

今風に言うと、自治・共治・法治。
自分が出来る事は自分でやる。出来なければ周囲・地域でやる。それが無理なら、行政など制度化して、生活環境を治める。

いわゆる補完性の原理に基づくもの。このガバナンスストーリーの中では「イケナイ」とはしていない。(そりゃね、パターナリズム的であるとかこう言う統治モノには批判は色々あるけど、今の行政のコミュニティ政策はこれで成り立っている)

元々あった日本のコミュニティ関係は、「イケナイ」とかのそんな希薄な物ではなかった。こんな個人主義的ではなかったのだ。あ?!「個人主義?」自分で思い浮かべたこの言葉。
 

ははぁ、どうやら、これも戦後教育の派生物(アメリカ製)なのかもしれない。

おいおい・・・・それに突き当たるのも 病気か wwww

2015年6月27日土曜日

壁にくぎを打つ責任問題

例えば「壁にくぎを打つ」と言う注文。
用途は、額縁か何かを飾る為の釘(フック)と言うあいまいな物。

そんなものぐらい自分でやれ! とは思うが、最近の壁は石膏ボードで下地に何もなければかなりモロイ。そう言う場合には石膏ボード用のフックがあるのだが、フックのデザインはそう多くは無い。

そう言う事情で「壁にくぎを打つ」と言う注文が発生したとしよう。



さて上のAB、結果は同じ。だがコストはどうか・・。

寸法が入ってしまうとこれは職人さんや施工会社や設計監理者のコストが大幅に変わってしまう。
この寸法と言う物は、精度や各部署での職務上の責任が発生して、それを何としてもクリアしなければならない性格の物。図面と異なればクレームが発生する可能性が大なのだ。

用途は、たかがなにかを吊り下げる為の釘(フック)。その品物よりも多くの人件費がここで浪費される。

多分、図面を書くだけの設計屋さんなら・・・注文通り書くでしょう。
でもコストや、あるいは他の配慮要素があるとなると・・・・

つるす物が寸法厳守の物ならまだしも、あたしにゃ、この寸法は描けない(笑) 

多分別の手を考えるでしょうね。
いや、簡単。現場で「大体その辺ね」と言えばいいだけ(笑)
あるいはメモかな?

あたしのポイントは、こう言う事柄は「契約する図面」とは区別する事。
そうでないとコストダウンは計れない。

どうせ大したものがぶら下がる訳でもないし・・。

数年前の物を引っ張り出してみている

「木製からくりに興味がある。」

そんな事を言う人がいたので、それならまずは木製時計でしょ、と数年前に設計した物。

別に注文が有った訳ではないが、頭の中に有った物をメモしておいた。

あとはCNCで切り抜けば出来るのだが、ふとした発想から、2次元状態から3次元化してみたくなった。

今ここは、いわゆるエンジン部分歯車(2番歯車・3番歯車)。

最初のデーターは建築用のjwcadで書いたのだが、ここに来てちょっと面倒な事になった。

そうか、jw_cadはあくまでも建築2次元を目的にしたもので、最初からデーターの簡素化を計っていた。だからポリラインと言う概念はjwcad内部では曲線コマンド(正式対応ではないが)にまとめられている。

それを忘れて作図してしまっていた・・。  jw_cadで描いた歯車曲線が単線集合となって接続が悪い。すんなり3D化にならないのだ。 3D側で描いた方が早いぐらいだ。

をー、この処理面倒だな。



2015年6月24日水曜日

ある物件からの派生

 古くからの付き合いのある同業からの話。

ちょっとしたイメージを頼まれた。

これらの画像はその派生イメージ。
実際に頼まれた物は全く別な物だが、昨日逢った時、実は違う物も欲しかったとの事。

しばらく温めておいたのだけど、今日はコレを送付。

気に入ってくれればいいのだが。






 ラーチ(からまつ)合板。もちろん地場製品 ww
染色して強化塗装。

この素材は非常に興味深い。単純な使い方から、合板のカテゴリーを超えた使い方まで・・。




これは簡単な例として、少々メカニックな雰囲気にしてみた。

この例は蹴込は無しだが、階段に不燃が求められる場合は鋼板の上に設置することになる。

2015年6月12日金曜日

8ft×9ftのガーデンシェッドを誠心誠意設計中!

と気取って言ってみても、なんのことはない8尺×9尺の物置。

いつものことながら・・
依頼主にせかされて、せっぱ詰まって設計をやっております。ww

















ま、この大きさに関しては思い入れがあるので、つい引き受けてしまう ww。
で、狭い!!!と苦しむマゾヒスト癖。

これ多分・・治らんね。

あーこれね、我流のBIM(Building Information Modeling)。BMI(肥満度)とは少し違う。
データー作りも並行してるんで時間のかかる事おびただしい。
ま、何やってんだかでせっぱ詰まる。

ま、いいかぁ・・・・


2015年6月3日水曜日

ドイツ・スイスの軸組み工法を見ている。

いわゆるハーフティンバー工法の類。ヨーロッパでは基本。

当然だが日本と酷似している。

そうなんだよねー、だから面白い。

日本にツーバイフォー工法が入ってきて色んなことになったが、インターナショナルなのは日本の在来工法の方が近い。

少ない材料でどうやって組み上げるかの知恵は、こちらの方がずっと深い。

眺めていたgoogle画像例




日本はとにかく認証を得たものしか使えない。有り余るほどの木材継手の知恵が、計算できないからと言って金属で補強される。

計算できないのは法令関連の建築技術者のせい。
大工さんのせいではないよ。

ああああ、もったいない。



2015年5月29日金曜日

こずるい思込商品



世の中に「買ってはいけないシリーズ」みたいな物があるが、どうして買ってはいけないのかと言う理由は色々。

消費者の為にならないと言う純粋な警告もあるが、ある種の思い込み信者拡大の為とか、そのスタイルを偽装して自社の製品との差別化や、ライバル会社へのネガティブ広告とか、政治的意図とか・・・。

消費者の健康を害する製品に対しての監視は必要だけど、根拠希薄な自然志向信者、あれはイカン。

どこかにすんばらしい自然志向の教祖様がいるのか、理屈じゃない。何が悪いか良いのかデーターで示しても、一向に理解しようとしない。まさしく信仰。

この分野、世界的自然志向有名メーカーでも混ぜ物がある。データー安全シートの仕組み。これにもね~・・、ある技があって一般にはホンの数パーセントの混成物は記載しなくても(以下省略)

腹立たしいのは、それを日本の物との差別化の為に隠して、イメージ戦略で信者を拡大している事。本当にこズルいのは、そのイメージづけを、自分達メーカーではなく盲信信者にそれをやらせている事。これが汚い。無知な消費者に対して責任を取るつもりが無い。

そう言うイメージ戦略が過剰な製品は当然調べる。
毛色の違うヨーロッパやドイツのデーター安全シート、WHOのデーターシートなど、まぁ思いつくままなのだが調べて、どこが安全なんだか・・。データーシートは安全を保障する物ではなく何が入っているかでしかない。
「Safety Data Sheet」のネーミング自体がイヤラシイ。成分データーでいいじゃん。

幾つか比較検討を目的に調べたことのある人なら判るだろうが、目的が同じ製品なら必然的に似たような物。いや実際はパクリなのだ。(白状:パクった経験あり)数パーセント、これの差。記載されていないナニか、これはなんでしょねー(以下略)。 ww

こんなのをどこぞのセンセやハイカラ工務店などは「ヨーロッパでは・・」なんぞと、したり顔で「いい物知ってる俺エライ」なんてやってるんだろな(笑)それで、信者さんたちが大きくうなずく情景を見てきて、やっぱオラにはオラのプライドと言うかやり方がある。

その信者が求めてるのが、製品ブランドなのかセンセブランドなのかだったら、放っておくけど、違う場合は見ていられなくなる。

自然派指向と自分から言うクライアントがいる。その理由は大きく分けて3つ。1.身体的理由と、2.過敏な事に関しての憧れと、3.ただなんとなく自然の方がいいような気がして。

この中で問題なのは2.これは不幸のダウンスパイラル。無駄にコストがかかり厄介その物。そしてこれは押しつけは禁物なので「気づきデザイン」の暖機運転をせにゃならない。

ダメデザイン(ダミー)を連発して、自分で行くべき(障害が少ない)方向を選択させていくのだが、さりげなくやるけどダメデザイナーとの評価を受け失敗する事もある。(笑)ま、よりよい選択眼を持ってもらう為には多少の犠牲もありか・・ww

そう言う人と不幸にもであった時、実は「お宅訪問」の時、まずは洗剤からちょろっとチェックしている(笑)その他、内緒だが言えないものまで見て、その信仰レベルを判断している。

液体洗剤なんかは、「水を広告費と化粧容器と運賃」を合わせ買いしているような物。性能は数パーセントのナニカで決まる。洗剤屋さん、どこも強いよね。儲かるのは当たり前なんだろうな。

引き受けたのは建築なんだが、建築は希望項目やコストや見てくれデザインの投影ばかりではない。メンタルな投影もかなりある中、これは裏面投影の話かな。