2014年1月28日火曜日

友人が1DXを買った

昨日は30年以上の建築分野の友人とほぼ一年ぶりの再開。
近くに来たので立ち寄ってくれた。

正直お互い住宅建築分野ではできる範囲はやりつくした感があるので、話題は別分野。共通の話題は写真。

友人が言う「1DX買った」とのこと。をぉう!すごい!。

50万以上の機械を買えちゃうのだから、良いことだ。
このカメラ、デジタルカメラの最高峰と言っても過言ではなく、ほぼどんな状況でも写せる。

設定が出来過ぎてまだ半分ぐらいしか使いこなしていない。

時々5Dに戻っちまうと笑った。

無理もない、CANONが今できる機能を満載にしたカメラだもの。











片や僕は初代DP2の標準固定レンズ。身の丈がどこなのか迷って一眼を止めた。
10歳からカメラをもってても、全然だめなのだ。
ちょっと薄暗くなるともうアタフタ。
オートフォーカスですら怪しくなるので、ピントも露出もシャッターも勘。
デジタルカメラでありながら、ほぼアナログのカメラ。使いにくい事この上ない。
と言うこの選択。おさらいをしている。


でも、あんまりうらやましくなかった。

何故なのかなぁと話しながら考えていると、僕は僕なりにイメージしている物が撮れているからだと納得した。









昔、音楽をやっていた時、イメージしている音が出ないのに悩んだ。
良い音色になるまでひたすらロングトーンの練習で体を作る。それこそ何年もやった。
それでもイメージの音に近づかない。高い楽器ならば出るのかと言うとそれも解らない。
弦楽器や鍵盤ならば楽器の品質は大きく影響するが、管楽器は体も楽器の一部。
適応してないのかもしれないと止めた。同じ理由で僕は絶対に歌わない。

それを思い出していた。イメージするものが出来ているかどうか。
今はイメージ通りに写せている事に気が付いた。
でもまたそれは、違うジャンルの写真を撮ろうと思っていない事にも。


建築と写真はとても似ている。

写真は物を撮っているようで実は撮影者そのものの存在を映し出している。
物と撮影者の関係がそこにある。人を撮るとその信頼関係が現れ、その意味からいうと集合写真などはとても怖い。わかっちゃう。

建築も人と物との関係密度や心理的な距離がとても正直に出る。写真との違いは、写真はその時の状況だが、建築の真価は時間を伴う事。

一般に建築を作るときには設計・営業・現場と分野別に分けるほど、その物と人との関係が希薄になってくる。いや、意識さえされてはいないだろう。

その友人も最後になって言った。最近、また現場に出るようになって自分が活性化したよ、と。
結局、良い物を作ろうとするとフィールドアーキテクトなんだよなぁ、と。

僕も思う。分業化が進む前、一人の担当者が設計から引き渡しまで行っていた時代。
その時代は、全体の反省点や次の向上イメージが出来ていた。それがモチベーションになっていた。現在の分業化ではその機会がなく、建築技術者のモチベーションが衰退している。

今ある多くのハウスメーカーでは自分の守備範囲を遂行するのみなので、完成した全体も守備以上のものではない。次の向上ステップは、どこかの誰かの仕事だ。

期せずして、先見のハウスメーカーは最初から最後までを通して「診る職域」を模索し始めた。

彼はその内1DXを駆使していい写真を撮るはずだ。建築もまだまだやるだろう。
僕は、やはりもう少しこのアナログなカメラで修業しようと思う。

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