2016年11月17日木曜日

AI(人工知能)に関する記事をよんだ:2題

AI(人工知能)に関する記事をよんだ:2題
ちょこっとかじってたので気になってつい・・。
AIを育てる前に育ってない物が沢山あるなぁ・・
という事でメモ FBに書いたけど長文なので移動したw

1.宮崎駿が叱る


ドワンゴでのAIでアニメーションを描く実験だという。とすると、このAIにしてはひどく未熟な所が気になる。AI使用はドワンゴの嘘だろう。あるいは自動作図の範囲限定AIかだ。
人体スケルトンと物理的重さでは動作可能な範囲だけれど、死んではいるが動物としての平衡感覚が考慮されてない。この動きは安易に、人体ボーンに他の4足歩行パターンを、移動目的の違う場所に貼りつけただけ。ソフトの物理計算ごときをAIとは言わんだろう(笑)
AIがやったと言ってるけれど、これは人為的な割り付け方。ただ、異形な物を演出する目的でだ。人体では障害で失われた機能は何かしらの形で補完されるのもある。それ自体は素晴らしい事なのだが、実際には大変なことだ。手足のその形状自体に生物としての進化の歴史がある。

これ筋肉や腱が・・というまえに外れた関節でどう力が伝達されてるんだ?AIの前に、仮想のボーンの関節を外して見ろよ。サーフェイスがついてこないって?んなもの知らん(笑)

宮崎の言う人体機能への尊厳は理解できるが、元々人体・死体をもてあそぶゾンビゲームには、その倫理観は無い。異形を嘲笑しようとしている連中を前にしているのだから、言う場面が違う。 そして僕も宮崎と同じくこのゾンビ業界は早く滅びろ、と思う。
人間は、興味なのか忌避なのかも含め、異形な物には本能的に何かしら反応せざるを得ない。
ドワンゴのAIがどの程度なのか知らないが、その人間の避けがたい本能をネタにしながら、言い訳に都合よくAIを使う倫理観程度なら、人前でやるべきではないね。AIが気の毒だ。



2.東大くん


AIだからと、コンピューター分野だけで研究しているのかな?と・・。もっと学際的にやらなきゃ出来ないでしょ?特に精神分析分野は必要だと思う。記事にある、知識の選別や適合技術ではなく、その背景で動かしている物が欠けている感じがした。難しい事ではない。
 
この記事にある課題の「読める」は、スキャンなどの画像解析や文脈解析などの技術的分野ではない。読めなくても何とかする方法論を持っているのが生物。
それを疑似的に行う手段としての、とりあえず決定して微分的に始めるフィードバック的試行錯誤(いわゆる見切りや思い込みで始め、触覚や匂いなどの細かな感覚を繰り返しシュミレーションする)は、AI研究だからやっているのだろうと思ったけれど、それが出来て無いのかもしれない。
もしかするともっと根本的な、思考を方向づける要素の、AIが自律的に判断すべき自分の立脚点を決める研究がいまだにされていないのかと・・まさかとは思うが、まだ着眼してないのか?と脱力した。
 
これが無いと、自分がなすべき方向性や、学ぶべき相手の選別、あるいは敵も味方も、それらへの対処方向も考えられない。ただの計算プログラムだ。
 
機械だから感情が無い。通常そう言われて感情を組み込む事を思考停止しているようだけど、感情の発露もこの「立脚点」に由来している。論理はその後の技術的課題であって、感情の方が重要だ。むしろ手っ取り早い。

それにはまず立脚点(自己存在肯定)があり、自他との関係が生じ、方向性が生まれ、方法論が出来て、状況判断につながる。記事にある事は逆の些末な技術から手を付けている。

一連のこれに障壁があれば、いわゆる「嫌い」になるのだ。逆に蓄積や伸展があるならば「好き」。あとは閾値(しきい値)の設定。感情などシナプスの動きはそう言った単純な物の集積だ。そう解釈すると疑似的なモノは作れるだろ。

感情(思い)が無い。だから、論の方向性を自律的に定められない。「読む」には、どう読むかの「姿勢」がアプリオリに必要。まずこれを与えなければ課題解決の糸口がない。読む姿勢(方向)が無ければつなげられ(理解=蓄積・実行・反復・応用)できない。

AIもまだ羊水の中かな?でもこれは、胎児だって理解しているぞ(笑)
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何だかな~、30年経っても全然進歩してないね。

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