2015年9月13日日曜日

悪夢でもあり現実でもあり

チョットした手術後、モチベーションが低い。

ちょっと早めに寝て夢に泣かされて目が覚めた。
夢だから辻褄は合わない。
独立したての事だ。幾つかのコンペで入賞し道外を走り回ってた頃の記憶と重なる。

他の町から設計依頼された雑居ビル。それが完成オープンするらしい。
学校から帰って来て暇を持て余している、長男と次男に「行ってみるか?」と声をかけた。
3番目はまだ小さく奥さん側と行動を共にしてたんだろう。2人は「行く!」と二つ返事。

そしてそのビルへ。現地を探しても僕のデザインした物は建っていない。
ちょっと離れた駐車場に車を停め、子供たちに「ちょっと待っててくれ」と言って降りた。

現地には、妙な安っぽい趣味の悪い建物がある。全く別ものが建っていた。悪夢だ。
オーナーが呆然としている僕を見つけ「この人がこの建物の設計者だ」と大勢に紹介した。
拍手が収まったころ小声でオーナーに抗議した。
「なんですか、どうしたんですかこの建物」
「いや、業者を値切ったらこんな風になっちゃって。悪いけどこの後も面倒見てくれよ」
「え?そんなの責任持てませんよ、一体何の面倒なんですか?」
「入居するテナントには新進気鋭の建築デザイナーがデザイン面での面倒を見る」って言ってあるんだ。そう言って10名ぐらいの企業に逢わされた。勢いに負けて、挨拶をさせられてしまった。

よく見るとひどい建物だ。嫌だこんな物の責任を取りたくない。テナントもどこの何だかよくわからない。それでも最高の愛想笑いとベンチャラと、テナントの不安を取り除く臨機応変のアイディアとを連発して行く。深みにどんどんはまっているのは判っているのだが、順序立てた嘘に組み込まれていては簡単には抜けられない。
最初の嘘に巻き込まれることを避ける事よりも、予想外の展開を切り抜けるのに没頭していた。

数時間経ったのだろうか、テナントたちを納得させる為のパーティも済んでへとへとに疲れたころ、更にオーナーが何か言いたそうだったが逃げ出した。

日も暮れて辺りには雪が積もっていた。
子供たちが・・
急いで待たせている所に駆けつける。
暗く広い駐車場に、僕の車だけが停まっていた。

見えると同時に遠くから次男の泣き声が・・・
見ると2人取っ組み合いのケンカをしていた。
長男は少し我慢するのに比べ、次男はいつも状況を素直に表現していた。
2人は不安な感情を相互にぶつけるしかなかった。
そんな状態にしたのが申し訳なくて、抱きかかえて2人が泣きやむのを待った。

順番を追って話すのが得意な長男に何をしていたか聴いた。
不安を我慢しながら、僕がどこにいるのかアチコチ捜し歩いた事を話してくれた。
二人は知らない街で何を手掛かりに僕を探したのだろうか。
その頃、僕は否定しながらも、この子らを忘れ、どこか生きがいを感じて「嘘つきの商売」に没頭してたのだ。全てを聞くまでもなく、子供たちに申し訳なくて、声を上げて泣いた。

自分が嗚咽する声で目が覚めて、今は子育ては終了した事に気が付き、安堵した。

起きあがり、しばしうなされた事を想う。
僕のオヤジは布団屋で、その配達とか御用聞きの車に乗るのが好きだった。
田舎道をトコトコ走るのも、オヤジが客との対応時、そこの周囲の風景を一人眺めながら待っているのも、とてもよかった。そう言うのを体験させたかったのだが、この夢はそれを上手く出来なかった負い目か、それとも急場しのぎが多かった商売のせいか・・・

子育てに関しては彼女はとてもうまくやってくれた。文句は一切ない。こちらも学ばせてもらい感謝している。それに比べてどうだったのかと考えると負い目があるのだ。

足抜きが出来ない状況は現実にも多々あり、多くの場合筋書通りには行かない。
芸術家は、単に自分の技の範囲で自分の想いを表現出来ればそれで一応の一件落着、表現されたモノが評価対象だが、デザイン業は他人の事業を成功させる事でようやく評価される。それも他人の技(能力)を使っての事。

見かけ以上にハードなのだが、軽く見えるせいか、真剣に成功したい人達だけが集う場面などはほとんどない。むしろ障害の山積から始まる。常に能力や目的とはかけ離れたところでの、妥協と食い違い。引き返せないがための説明と納得が必要になる。普段、泣きたいんだろな、本当に・・。

結局、自分の歪みに決着させ床に戻った。 この夢は2度と見たくない。

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