2015年12月17日木曜日

専門家とのギャップを感じる。

放射熱計算なのだ

熱放射とは、気体、液体または固体を構成する原子、分子、イオンまたは電子は、熱平衡状態においては、その温度に対応したボルツマン分布に従う熱エネルギーで運動をしている。この熱運動によって、荷電粒子から電磁波が放射されるが、このような放射を出す過程または出された放射のことを熱放射という。

と、ある文献には記載。

さて正直言うと、その後に出て来るステファン・ボルツマンの法則やウィーンの変位則・プランクの放射則などを展開するのは面倒くさい。
かと言って「検討して何かしらの結論を出してみる」と、お気軽にではあるが約束したからにはやらなければならない。

熱反射・放射に関しては様々な研究施設でも色々実験されている。それらの実験方法は基本的に上記の理論に沿って行われていて、その結論も論文やカタログには記載されている。だがそのカタログ値は本当にそうなのか?とうっすら思っている。

建築脳しか持ち合わせていない僕には力学の様なアナログ数字ならば繋がっていくのだが、熱力学分野での「黒体と比較して」のちょっとジャンプ(放射)した現象での理論で作られた数字イメージは繋がっていない。どうにも感覚的には数字だけを追いかけ結論付けるのか・・と言う気分になる。これが気持ち悪い。

そもそも「黒体とは、外部から入ってくる放射を、その波長、入射方向、偏向の方向に関わらず、すべて吸収する性質を持つ理想的な熱放射体のこと。」とはあるが、言葉ではそのまま受け止め様とはするのだが、建築脳がいつも「なんだそれ・・」とつぶやくのだ。

建築脳の場合「えーと、その黒体は何で作ります?コンクリート・鉄?・ガラス?艶消し塗装?それとも煤や炭などの炭素系でやりますか?」と言う感じになる。
黒体内部側の密度・熱容量・伝導率だって大いに気になる。

なぜ気になるのかと言うと、住む地域が寒冷地なので良く体験するのだが、ある低温物質の前に立った時、その時の物性によって体感温度が異なる経験をしているからだ。それは無限平行2面による形態係数や放射係数だけでは説明が足りない。

またこれ(黒体)は、3DCGの光を考慮したレンダリングをやっている人なら判るだろうが、全つや消しで、どのような強い光を当てても常に真っ黒な物?なのだ。おい!それは物なのか記号なのか!
CGで描くと、ものすごい違和感がある。いわば光のブラックホール。

なので通常の自然界には無い物との比較で・・・・うむむ・・・物と数字の関連付けがイメージができん。まぁ、よく実験時に登場する「黒体」は「理想的」なものなのかどうなのかもわからない。艶消しの黒であることは間違いない(らしい)のだが・・。

だから「黒体とぉ比較してぇ・・」の数字やグラフで導かれた、(いつも)すっきりしない結論(実験条件で理論とは異なります・・みたいな)を読まされると、正直イライラする。

実はメーカーのカタログ数値もそんなんで出来ていると思ってるのです。
だから僕はまだ熱力学第一法則界隈でちょろちょろしているんだな。

2015年11月26日木曜日

まかない建築:雪にはナントか間に合った。

Google Earthからの自宅写真。老犬用の散歩道や老車トーラスが写っている。(南側に突き出た屋根部分は今回切断した)

家族の間で「屋根の上の黒い点は何だ?」と言う話題が以前からあった。

あったけれど、誰も見ていないので
1.カラスの死骸説
2.鉄板の変色説
3.フライングディスクがへばりついている説

など推論の域をでてはいなかった。

雨漏りを放置して35年。今回屋根に登ってみて判った。これはなんと水たまりだった。

長年水が溜まっていたので土埃が沈殿し黒く見えていた事が判った。水深25cmと言うほとんど「沼」のような物が出来ていたのには笑った。

いや、それにしても・・・・板金と言うのは何と柔軟な素晴らしい素材なのか。
いつからこうなのかはわからないが、それ以来幾度も積雪や豪雪があり厳しい凍結もあったのに、底抜けもせずに、これで雨漏り程度で済んでいたとは(笑)

数日前11月としては珍しい積雪が来たのだが、ちょうどその時、内部からの構造補強「沼の底上げ」工事が完了した。

危なかった・・・いや、今まで放置していて大丈夫だったんだからと、ウッスラ思っている。(笑)

2015年11月11日水曜日

まかない建築:建設当時の断熱材


35年経った内装をめくってみる


特大のバール。靴は安全靴。今日のオレはいつもと違うww.

天井の断熱材を落としてみる。昔はブローイング工法が無い代わりに、厚さ150mmと言うグラスウールもあった。これは250mm(100+150)。当時はグラスウールの質も悪いので、落しただけでゲヘゲヘになる。死にそうだww。



壁面の断熱状態。
ブロックは蓄熱材としての用途。
外断熱と言う言葉のない時代。

外断熱の先例にあるのは海外でもブロック造のみ。日本ではブロックの2重壁(キャビティウォール)。そしてそれには構造上からの冷僑と言う気になる所もあった。

更にブロック造は日本では海外以上の構造制限が有って大きな室内空間を採るには不向き。

そこで鉄骨構造となるのだけど、プレファブメーカーの様な軽量鉄骨ではブロックの重量を支えられないので重量鉄骨構造と言う選択肢。

設計を覚えたて2年。
ま、こんなものだったんです(笑)

この断熱材の入れ方、今ならお笑い物だ。

内部側から、
銀膜付き高密度グラスウール50
一般グラスウール100
外壁下地にスチレンボード20mm合板サンドイッチパネル。
その上にラスモルタル(サイディングも無かったんだってばww)

各性能は別にして、ザックリした断熱材の厚さは170mm。

35年前、灯油40円/L時代に計算したランニングコストとイニシャルコストの損益分岐点。
断熱材の厚さとしては現在でも通用するかもしれない。

だがこれには欠陥があった。
天井にはフィルムが入っているが壁面にはフィルムが入っていない。

これはもう、ヤラカシテいるww。
 
いやあたくし、いかに当時経験不足でもこの様な指示は致しませんのです。
その頃は地元建設会社の単なる下働き現場員。幾つかの現場が重なり、自分の住宅は後回しにせざるを得なかった事を思い出します。

職人さんも、銀膜付きグラスウール(お高いのですが間違っちゃったら意味がないww)という事と建物の気密とは、無関係という事をまだ知らなかったのでしょう。さらに下地分の隙間が空いているし、今ではあり得ない状況。この後10年ぐらいしてからようやく一般的に「気密が重要」となった。時代なんですね~。

今でも0.15mmを使っている。切断した物を立てかけて
自立するぐらいの強度がある。破れにくく、若干乳白なので判りやすいんです。
それに、どんなに強い気密テープにも絶対負けないww
でも、その頃から気密膜としては過剰なほど分厚い0.15mmを使っている僕としては、これはあり得ない。(気密性能は変わりないけれど、破れにくいのときちんとできているかのチェックがしやすい。しかし通常の5-6倍コスト高)。内部側フィルムの施工ミスの怖さを知ってたんですから・・。

これはもう僕の施工管理ミスですね。これが大敗の原因でした(笑)

まかない建築:木製建具

珍説:
1.アルミサッシ+内部木製窓(ガラス1枚)
2.プラスチックサッシ(ペアガラス)
寒冷地の住宅では基本的知識として、1より2の方が断熱性能が優秀。
もうこれは常識化された事なんだけど、前からちょっと疑わしいと思っていた。
現代ではこう言った性能を表示するにはQ値C値などを用いて、共有できるように「標準化」されてはいる。それには異論はないんですけどね。当たり前に、金をかければ高性能が手に入る。
そんなつまらない事はしたくないw

結論
これね、小さい窓ならば1の方が優秀なんですよ。(キッパリ断言!)
理由は枠。普通の木製窓でもプラスチック窓に全て負ける、とは限りません。
或る工夫をすれば、ローコストでそれを上回る事は十分可能です。
何々風などと言う様式インテリアデザインなどでは、やはり木製の出番です。


僕の住宅では、国産出始めのプラスチックサッシと、1.の木製とを付けて比較している。
当時、ドイツ・北欧の新製品と言えばプラスチック窓。
木製サッシはまだ開発されていなかった時代。
 
地元の建具屋さんたちの将来はどうなっちゃうんだろう。
今でこそ「車」が技術産業の頂点だが、その頃は建設が経済の先導を切っていた。そのような自分達の一角が崩れるような気がしていた。(今では業界そのものがメロメロだがww)

輸入建具が始まった時の頃だったので、一部採用して比較していたのだ。
(と言うより、お金も無かったしw)

ところで、35.年前の窓性能と、現代の窓では比較にならないほど上がったのかと言うとそうでもない。やはりこの地域に合った物はかなり高価で性能もそれほど満足いく物ではない。いや、数値は簡単にクリアできるけれど、それは地域のノウハウによる物ではない。

比較する条件まで考慮していなかったのは未熟だったが、どうやら建設当時の疑問に思っていた仮説は正しかったと思う。
もちろん改善すべき点は多々あるのだが、ようやく地元建具屋さんが、自信を持ってそれらの市場に競合しても大丈夫なノウハウが出来たのかなと思う。

2015年11月9日月曜日

まかない建築

料理の世界では修業中は「まかない料理」で腕を磨くのだろう。
建築だって同じこと。
だがすぐ結果が出る料理とは違い、経験豊富な師匠と呼べる人がいなかった分、時間がかかる。
分かってはいたが、この場合35年もかかってしまった事になるのか・・(笑)

現在住んでいる住宅は留辺蘂で就職していた時のもの。
この時の建築設計経験は実質2年そこそこ、27歳だった。
鉄骨ラーメン構造の計算も断熱構造計算も、一応これでやり方を覚えた。
と言っても、随分色んな所を間違えていた。
何といっても経験不足。
上司とうまくいってなかった事や自信過剰なのか、判らない事が判っていない時期だったのも起因して、誰のアドバイスも受けていない。
もちろん上手く行った事もあるが、反省させられる部分も多い。

■ザックリと失敗のまとめ
雨漏りを放置して35年。
築後、5年ほどで雨漏りが始まった。

自分で解体してみて判った事だが、一連の構造の傷みは、雨漏りが原因では無かった。
直接・間接的に沢山の要素が絡まっていた。

根源的な原因は小屋裏の湿気だった。
小屋裏の気積の少なさと換気不足、これに尽きるのだろう。
軽量な軸材での小屋組みと異なり、ビル物と同じ重量鉄骨構造。太物で構成されている事から、室内に梁型を組んで鉄骨に断熱を行った。
この際に、断熱材が小屋裏一杯まで届き、ご丁寧に軒先の先端まで入っていた。
これでは換気が出来ない。

今でこそ商品化し常識化しているが、この住宅の小屋裏換気手法として初めて「スリット換気」を考案した物件だったのだ。
うーむ、残念。施工する人に説明不足だった。
当時GW断熱材は質も悪く誰もが嫌う作業だったはず。
それでもここまで念入りに入っている事は相当気を使って施工した証拠。
そうか・・・これはもう僕の指示・伝達ミスだ。

鉄骨母屋のC形鋼が一様に腐食しているのは、間違いなく雨漏りではなく湿度である。
高湿度によって母屋の腐食からの強度低下。これによって片持ち梁の強度低下が起きた。

片持ち梁の強度低下から梁のクリープが起き、屋根材に引っ張り応力が生じ、強度低下したC形鋼のダメージを速めていた。
母屋C形鋼脱落した為、それを留めていたL型鋼のアングルピースがルーフィングと屋根板金に接触し雨漏りを起こし、板金に錆びを呼び穴をあけている。

結果、雨漏りは止まったか。
実はまだ止まっていない。
雨漏りとして落ちて来る水はルーフィングを伝って来る。
だから、しずくが落ちた真上に原因がある訳ではなくもっと水上にある。
しずくが落ちる部分はルーフィングに穴が開いているか、何かを伝って来たしずく。
沢山の水が落ちて来るからと言って、大きな穴だとは言い切れない。
いくつかの連続したピンホールからの水がルーフィングの上でまとまると言う現象もある。
とりあえず、屋根の補修材をイギリスから取り寄せたが、雨の日でも施工可能と言う事なので、雨が降った今日ようやく出番、初めて試してみた。
どうやらまだピンホールが残っているらしい(笑)

■面白かった現象
解体も一人でやって見る。
正直観察しながら解体するので、物の劣化や変化を見るたびに考え込んでしまう。
これでは能率が上がらない(笑)。人を頼んでやる規模の解体でもないし、危険度合いも十分承知。
一時期の勢いのなさ(いわゆる老化)も判っているので、のんびりやって見る。

1)木の方が変化が無い。
これも解体して判った事だが、当時はC形鋼と木下地をつなぐ金物のクリップ類は無い。
大工たちも思案してC形鋼に木を食わせそれを下地をつないだ。
しかし、C形鋼が錆びても木下地はそのままだった。
つまり同一の湿度の場合、木下地の方が影響は少ない。当然と言えば当然なのだが鉄>木の図式がうっすら有ったので、木下地の変化のなさに正直驚いた。

2)鉄も異方性強度材料?
また、木材の性質である木目繊維方向と直角方向の強度の違い(異方性強度と言う)は広く知られているが、これは鉄も似たような現象になる場合がある事が判った。
サンダーなどで切断してみて初めて分かった事だが、鉄が錆び始めるとてきめんに木材同様の軸方向強度とそれに直角方向の強度は変わってくる。
これは圧延等成型工程によるものだろうと推測する。
構造計算では鉄素材そのものは、強度の方向性が無く同一なのだが、特にプレート類は顕著に強度の方向性が現れる。
これは構造計算には出てこない(笑)

3)板金の強さ
昨今の建物の形状外周には、乾式建材のジョイントを隠す為、あるいは意匠上の為に板金や金物が配置されているが、これは思いの他強い。
強いと言うかしぶといと言うか、金物類に打ち込まれている釘類は錆びずに強度を保っている。
板金類が引っ張り強度には強い事は判っていたが、長尺平葺板金の一枚の成型分だけで2-300kgは耐えられそうだ。
勿論構造計算には出てこない部材なのだが、淀や破風の折り返しやつかみの補強板なども想像以上に強かった。
板金のみの構造モデルを考案してはいるが、本気でやって見るかとこれを体験して思った。

4)板金の弱さ
ある一定方向にはさみを入れると裂けた。それこそ裂きイカの様に(笑)
板金に強度の方向性があるとは・・・・これも圧延の影響なんだろう。
これも面白い。考えてもいなかったので構造モデルにはこれを加味する予定。
屋根に上がって板金をよく見ると沢山の筋や擦り傷。
折り曲げ成型加工時のローラー痕や施工中の傷が35年経つとダメージとして見えて来る。
ふと板金保証期間年数が頭に浮かぶ。なるほどね~、そう言う事か・・。

大まかだが、個別分野でまだまだ考えさせられる事があったので、不定期にぼちぼち書いてみる。

2015年10月27日火曜日

今日は地下室

DIY自宅(職人オレ):
今日は定位置(地下室)に座っている。
改装の様子写真をUPしていないのは、いずれBlogにまとめる予定なのと、シロウト様が目にすると某びふぉーあたふたーの様に大げさな反応になるから。
 
ま、正直言うとこの状況はプロの僕でもどうした物か迷った。適切な方法は、試行錯誤の中からしか生まれない状況。
ならば各専門職(大工さん・屋根屋さん・鉄骨屋さん)にお任せする事は出来ない。という事で(職人オレ)の事態となった。

と言っても、どうも体の動かし方が判らない。これは、動いてなかったのでどうしようもない。
そして作業は常に足場の上なのだが、足場と体と作業場所のポジションの取り方がちぐはぐ。
不器用なものだ。
一人工事の能率の悪さもあるが、それでも最初の工区の構造補強はあと半日で終了。
 
通販で、内装用の資材を今発注した。
それらは、建材屋さんやホームセンターでは扱っていない。
厳密に言うと(厳密でなくとも)建材じゃない物を使っちゃおうとしている(笑)

2015年10月19日月曜日

法は守るべきもの、だけど・・ね。


建設条件が厳しいほどワクワクする僕も、ちょっとばかし納得がいかない事が有った。




隣り合う宅地の問題:
住宅が密集している第一種住居専用地域などで

Aの敷地は法ルールを守りたいのだが、Bは見るからに違法状態の造成(土地所有者の無知によるもの)が隣り合っている場合。

Aの土地所有者が全て合法的に土地の形状を整備したい。
では、間に立つ擁壁はどちらの負担で作るべきなのか・・・。

役所ではAがそれを負担すべきだと言う。
でもそれは、Bの違法状態を容認する事になるので、それは納得がいかない。
それにAがそのために何百万も負担すべきなんだろうか。

双方合法にして安全な環境を形成するのが宅地造成法の趣旨なはずなのだが、Aだけがその負担を負うのはオカシイ・・。

法の運用としては、手順として整備する側に言うのは判るが、違法性あるいは危険な状態を放置していいのだろうか。むしろAの負担や義務ではなく、役所にはその状態を是正する仕事があるはずだ。

  • 第二十一条  造成宅地防災区域内の造成宅地の所有者、管理者又は占有者は、前条第一項の災害が生じないよう、その造成宅地について擁壁等の設置又は改造その他必要な措置を講ずるように努めなければならない。
  •   都道府県知事は、造成宅地防災区域内の造成宅地について、前条第一項の災害の防止のため必要があると認める場合においては、その造成宅地の所有者、管理者又は占有者に対し、擁壁等の設置又は改造その他同項の災害の防止のため必要な措置をとることを勧告することができる。
なるほど・・・・・・・
「勧告する事が出来る」  という事は、しなくても良いという事。

安全よりも役所の立場が優先ということ。役所の仕事・義務ではなかったのか。(民事不介入?)。
市民安全よりもね、そう言う事でしたか、納得しました(笑)

2015年10月11日日曜日

20151010のトト



トト 15歳 秋
台風が過ぎて2日。まだ風が強い。 

午後1:30分
午前中は外に居たのでうちの中に入りたいらしい。

梓帰省。 現在トトと熟睡中。

2015年10月5日月曜日

「昭和の湯」と書いてあった。

一月ぶりに温泉に行ってきた。

背中に手術跡。現在、肩甲骨あたりに半開きになった唇が付いている。
後頭部に唇ならハリーポッターか何かのお化けだが、背中では鬼太郎に出て来るような妖怪の類。
 
「それ見ると他の人はびっくりするからなるべく見せない方がいいかも」と言われてたので、人に逢うと顔を合わさないようにすればいい。だが、それじゃ背中を見せることになるのに気が付いた。
 
という事で、地元のマイナーな温泉宿に行くことにした。
 
そう言えば、この小さな浴場なのだが、30年以上昔に僕が書いたもの。
予算上、意匠を凝る余裕も無いし、スペースも周囲上部にも限界が有って何の変哲もない箱しか作れなかった。そして、鉄筋コンクリートをミス無くやれる業者でもなかった。

温泉の浴場は難易度が高い。建設材料が劣化する速度が速いので、どの程度メンテナンスを想定しているのかが気になる。まず、温泉成分との化学変化・・。並の建設工法・材料では失敗する。

出来れば同時期に建てた公共施設と同じやり方(懐かしのセラミックブロック)でとの要求だが予算がない。それにあれじゃ熱損失がひどすぎるし、細部が弱い。
また大手設計事務所が手掛ける派手な民間施設の工法では劣化が激しすぎる。
仕方が無く、その時代では例が無い鉄筋コンクリート外断熱(外断熱と言う言葉すらなかった)で作った。
僕にしては珍しくひたすら地味(笑)

コンクリートも空気連行のAE剤を使用せずの、常識外れの緻密化コンクリートの配合設計(そう言えば最近やってないね)をして躯体での防水。更に最初の塗装なので、躯体浸透し化学変化保護する灯台用の塗料を採用した。

実際施工業者も、生コン製造プラントも、塗装屋も、勿論施主も、「田舎の貧乏図面屋が何能書きこいてるんだ?」とばかりで、誰も理解も評価もしてくれなかったのだが、これらだけは妥協しなかった。
35年?近く経って見ると案外状態は良いようだ。

そりゃ経年変化と、予算が無く断熱仕様に出来なかった窓廻りには一部修理の形跡。
コンクリートヘアクラックの跡はあるが、躯体全体の中性化や劣化は未だにない。
上階の床高に合わせる為の苦肉の策の、鉄筋が混み合う扁平梁も変化は無い。

一人孤立し、最後まで理解されないまま工事を終えた。
ただの図面屋として仕事をしただけと扱われていたので、工事関係者からも事後の連絡は無い。
ひさびさに顔を合わせた施主も、僕の顔すら忘れていた。

とにかく、どうやらメンテナンス費用は格安で収まっている。
大手設計が手掛けた同時期に建てた温泉は、すでに解体・建て替えされ、別の鳴り物入りで建てた派手な温泉も、10年周期でメンテナンスに明け暮れている。

ほら、違いはこれなのさ。
維持できている。
35年経っての自己満足。空しさも感じるが、まぁいいか・・・。



案の定、温泉には誰もいないので、背中の妖怪を見られる気遣い無くのんびりできた。

湯上り奥さんを待っていると、どこからか昭和の香りがするギターの音。
フォークっぽい循環3コードのみの曲。いい感じでチューニングがずれて、湯上りのだるさにちょうどいい。


帰り際、玄関を振り向くと「昭和の湯」と有った。
それならもうちょっと、それなりにデザイン更新しようよ(笑)
関与しなかった部分の劣化が激しいww


帰る車の中「あの温泉浴場、昔、俺が書いたんだよ」と奥さんに言った。
「へ~・・・」 それだけだった(笑)

2015年9月26日土曜日

ザハがやりたかったこと

一年ほど前、あるソフトウェアの会社にボロノイに関してのプラグインは有りませんか?と問い合わせたことが有った。

建築構造にもFEMの考え方が一般化し、さらには荷重と形状の制限内で構造体の適正配分が可能になった今、それを実現させるための素材配分方法としてボロノイが必要になってくる、と考えていたからだ。後日、良く調べるとそれに近いプラグインが有ったので、今はごまかしながら試用している。
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このビデオは自然物の細胞の形状から、その「有るべき適正な形」を模索するもの。純粋な細胞工学の物ではないが、サーフェースや構造を効率的に考える物として「あり」だなと思う。
面白いのは、ボロノイと一般サーフェースをリラックスさせている事。(リラックス=力を馴染ませると言う感じかな)最終的に使用しているのは、多分autocad系ソフトウェアのあのコマンドだ(笑)

このボロナックスの考え方は自然界に習って均一素材の配分という事に基づいている。だが、確かに自然界では単一な素材でのみの構成なのだが、人間は強度の違う物を組み合わせる事が出来る。それをクリアすると更に良くなるだろうと思う。

例えば骨格。骨の細胞は「骨」しか作りだせない。つまりは単一な素材。しかしながらその単一素材を縦横無尽に使い、密度や形状を変えながら非常に合理的な動作の組み合わせまでに創り上げている。

そしてその断面は、構造計算の公式で解ける形状の物は一つもない。元々今までの構造計算は「計算しやすい仮説」を解いているのであって、骨細胞が作りだした自然の摂理の物ではないのだ。

人間は、ようやくそれを解ける入口まで来ている。有限要素と時系列3Dシュミレーション。これが汎用化された今、それにチャレンジする人も数人見かけるようになった。ようやく構造は自然を越えられるかもしれない。キーは異強度剛性。これがクリアできれば、ようやく建築も医学に貢献できるのだろうね。



ザハの近年の動きを見ていると、どうやらこれをやりたいらしいのだ。他にデザインした小物もこの一連にある。

課題は有機的形態に数学的根拠が与えられるか、と言った所なのだがその手順が、発生した形にこだわるあまり、摂理を超えていきなり「神の手」になってしまう。
 
多分それは、彼女をアシスタントしているCGデザイナーが、「グラフィックデザインとしてのCG枠」を超えられないので上手く到達できないのだと思う。単純にイメージした形と力学的形状とは違うのだ。ソフトの限界が発想の限界になっている。

こう言う事は最近多くなっている。
日本の有名建築家の例だが、アシスタントがCGソフトのRhinoceros(ライノセラス)の達人。
それでその有名建築家はそのソフトの中にある、グラスホッパーと言うプラグインが作りだした形状が「作風」となったりしている。

つまり使ったソフトが「作風」となる時代。
昔、デザイナーが「フォトショップでやった」と「自分の技?」を自慢してた時代が有った。
フィルターコマンド止まり・・・(笑)
笑うべきか嘆くべきか、それとも必然なのか、とても迷う(笑)


ザハのあの案にあったキールアーチは建築骨格としては矛盾は無いのだが、それを成立させる為の「あるべき形状」がサポートされていない。日本の設計業界の修正案はさらにその下を行く物だった。

もしも日本の設計チームに、京大のプログラミングアーキテクチャー研究グループなどがサポートしていたら、修正案はよりザハの案に近い合理的なものになっていたと思う。(下記ビデオと近い事をやっている)

これは140mの梁の合理的構造形状の逆解析。力と荷重条件から適した形を求めていく計算。
形状制限を変えたり異強度素材であればまだまだ違う形状になる。
日本では藤井大地氏が同じアルゴリズムを書籍で紹介している。



多分それでもゼネコンは反発するだろう。
「実際にはどう作るのだ。型枠や表面仕上げはどうするのか」

僕ならこう答える。
「3D分割サーフェース膜に吹付GFRC。キールアーチ構造も同一強度同一断面のソリッドな素材で有る必要がすでにない。」

一連の残念な結果は、運営側だけに有るのではない。
建設技術コーディネーターが弱かったんじゃないかと思う。

関連
ザハ・ハディットが悪いのではなく・・・

2015年9月24日木曜日

面白いジャンルの車両区分がある

2人ちょい乗りという用途。町工場製造原価60万ぐらいだった(電動部品が高いね)

画像は道路交通法車両区分で行けば、「側車付軽自動2輪250cc以下」いわゆるサイドカー付オートバイに類するもの。車検がお得。

トライク(3輪車)L2.5m W1.3m H1.15m 3KWホイルインモーター。2人乗りゴーカートの様な大きさ(規定ではドア屋根は付けられない、開放が条件。)

動力・方向制御は後輪。前輪は生意気に車にバンク角(遠心力軽減)を付けるサスペンション。(トライク結構ずっこけてるようだしww)
この選択は現段階で出回っている汎用製品(モーターとブレーキの関係)の限界。

3輪車はお安く製造できるんだけど、コーナーに弱いのが欠点。だけど重心を安定範囲の中にどう配置するか、考えようによっては3輪だからこそのメリットもある。その一例。 ボディデザイン前なので軍用みたい。(なまめかしくも出来るww)




前から面白いジャンルと思っていた車両区分。高速は走れないけれど一般車道・街乗りOKでひところ走っていた原付ミニカーの制限速度30kmは無い。

タンデム乗り(2人前後乗)ならバンクも簡単だけど、それじゃつまらない(ドライブは話し相手が有るほうが楽しい=好み)のでこんな形。並列2シーター車のバンクは難しいけどこれならほぼ解決。(どや、BMW!(笑))



あまり大きな声では言えないが、現行法ではこれを電動でやるメリットは大きい。
トライクではあまりにも有名なT-REX(600万以上)。
http://www.motosalon-oka.com/trex14r-top.html

まだまだ対抗できる要素があるので各社この種にチャレンジしてるみたいだね ww。

2015年9月16日水曜日

安全は誰もが手に出来なければならない。(アースバッグ工法再考)

安全は国民の権利。

とは大上段に言っても、条件状況が異なればその実現は簡単ではない。国や自治体が常に保障してくれる訳でもない。


土砂災害が起きるたびに、そしてちょうど昨年の広島の土砂崩れで沢山の犠牲がでた時、これをまとめていた。

宅地造成法


土砂崩災害が現実に起きている事は、国土交通省の宅地造成法に誤りや見落としとまでは言えるかどうかは分からないが、今まで通りで良いわけがないのだ。

災害ハザードマップ・災害危険指定区域を慌てて作って、その中を規制するとかはしているようだが、規制したところで現にそこに住む住民には何の処置もしていない。

造成許可を降ろしていながら、災害危険指定区域とする。この矛盾にも応えていないだろう。そしてその「土」の技術的改革が有るのかないのかと言うと、進歩は全く見られない。

河川の増水で堤防が決壊したが、この技術も「土」を甘く見ているのが報道で判る。

アースバッグ工法の応用

アースバッグ工法はアメリカのNASAが、人類が他の星に移住する際、どうシェルターを作るかと言った方法論の一つ。(ソイルバッグも同じ理念)

人類が他の星に降り立った時、唯一そこにある建設材料、「土」の工法だ。
簡単なこれを使って、従来の「土」に、支持構造体としての性能を持たせていく。必要な物は土嚢袋と、土と若干の土質改良材(安価=石灰・セメントなど一般的市販品)

誰もが入手できる材料で、簡単かつ経済的に専門の業者を必要とすることなく、安定した土質と地形を維持する工法を得る事が出来る。必要な物は草木を愛でる様な日常的視点あるいはメンテナンス。補修もさらなる補強も簡単だ。

近年になって、それは自然派、サスティナブル工法とかグリーン工法などと合流し、各地で建設の動きがある。しかし、そう簡単に普及は進まない。

その理由は3点。

  1. 「建築」となれば法規で安全を確保し規制しなければならない。
  2. 他の建築工法のようには利益が出ない。
  3. 熟知する技術者が少数

事に由来する。
(よくわからないのだがどうやらこの工法でも利権を争うグループが出てきているようだ。商売になり始めたという証拠か(笑))


ガーデニングと同じレベルの技術で安全を積み上げていく。

この書類は昨年作成した物。ある災害危険指定区域で、安価に住民が協力して確保していける難易度の安全確保の方法論である。ガーデニングの様に日常的作業技術範囲で住民自ら安全を確保していく。安全は本来そう言ったものでなければならない。

宅造法ではコンクリートとブロック擁壁しか記載例がないが、昨年アースバッグ工法で、一般擁壁同等の安全を確認するならば、許可されるのだろうかと言う試みを行った。

前例はないだろう。それは判っている。しかし、この工法ならば多大な政策予算や工事費を費やすことなく、確実に住民環境の安全をかさ上げできる。安全対策予算に苦しむ地方自治体にだって有効なはず。そう言う視点でこの構造計算を審査してほしい。理解できなければ上級省庁に相談してほしい。

昨年はそうお願いして提出した。
結果は「見たことない」で、終了(笑)

今年も8月に、この工法ならばどうなのか。結果は「土嚢なんて」と頭から否定されている。
それは、技術的な見地から物を言っているのか、それとも狭量さからなのか!と食い下がるが、一考する気もないらしい。

そして、災害危険指定区域に指定したから自分達には責任が無い。住民負担が多かろうとも、自分達が認めた工法で無ければ許可しないと言い切った。
住民負担の重さがどうでもいい?何を言うのか。

行政なら、なおの事技術的見地で見るべきだと反論した。彼らが言う技術根拠は「素材・材料」でしかない。コンクリートは土よりも丈夫。その程度の技術観点で安全を語るなと言いたい。

しかしながら、役所が障壁になったその工事は、どうでもいいから早くケリ付けてというオーナー側からの要望で、この工法は流れてしまった。(ごもっとも・・)

役所の技術革新はボトムアップでは出来ない。
これは前から判っていた事だがこれでは住民は救われない。
災害危険指定区域で固定資産値が下がり、許認可で拘束、工事費は高価格になる。

河川被害のニュースを見ながら、こうした住民生活を守るには、制度設計だけじゃなく、やはり色んな分野のパートナーは必要だと思う。  つくづく(笑)

都市部なら集められるのだろうが・・・・(笑)

今後のすべき事は「自助工事的アースバッグ工法」を誰でも利用できるよう整備する事。
さてさて・・・

2015年9月15日火曜日

ある農業施設

道央の製造業との農業施設企画。

依頼の物とは関係ないのだが、以前から気になっていたものをネタに出した。

コンポストトイレ+休憩室。


農場でFRP製の簡易トイレを見るたび、「あれ、清潔感を保つのは大変だろうな」と思っていた。
他にも、公園や観光地やイベント会場・被災地のトイレも正直、なんで掃除のしやすいように作らないの?と・・。

見ていると、トイレメーカーはトイ機器しか考えられていない。それはいいのだが、他の分野もきちんと考えなければ、総体的にコストも落ちなければ省エネルギーにもならない。
建築もこうした機器類に関しては、設備分野として一括して分離してしまうので、そっちが悩んでいる事などには目もくれない。結局は何の解決策のアドバイスもしていないし出来ない。業界そのものが上から目線。悪い癖だ。

これはそんな視点から考えていたもの。

このコンポストトイレは一日の処理数は大小双方50回の分離型処理。
コンポストトイレは、あえて分類すれば嫌気型・好気型に分かれ、これは好気型のデザイン。
従来製品と異なるのはシャワートイレ便座もセッティング出来る所。

TinyHouseを考えると常にトイレはどうするのかと言う問題に突き当たる。
豪華キャンピングカーでも「お持ち帰り」は出てしまうのだが、その処理は大変。
そこで「解決の道」を付けましょうという事で考えていたもの。

コンポストメーカーも採算面と開発段階の都合(理解していなかった)で初期段階に落としてしまった機能なのだが、完全分解までの時間短縮とその間の処理の簡易さ(容器洗浄が必要ない)を特徴としている。完全分解後は肥料となる。

分解処理には、北海道厳寒地ではほんの少量の電力(発電パネルで十分)は必要だが、他地域では不要。もう少し小型にすれば家庭用トイレにも応用可能。

まずは移動型トイレとして、水洗トイレよりもイニシャルコストが安く、従来のタンク式よりも取り扱いが簡単で、使用感は水洗トイレに準じる、と言う所を目標にしている。

「社会的に必要とされている分野だからウチがやってやろう」と言う、気概を持った企業と出会いたいのだが、中々いない。そりゃぁ製造コストはかかるが、よく言う失敗などの開発リスクなどは無い。

以前、地元企業に話をした時、残念ながら興味が無かったようなので無理にお願いする訳にはいかなかったので機能とコスト優先でまとめた。


Tinyhouse by CLT:


最新のもの。 ノルウェーの15ft角(約4.5m角)のTinyHouse。
フレームはノルウェー産CLTで一日で出来る。
バスルーム・トイレ・キッチン・ベッドルームなどは好みに応じてセッティングをするのだろう。
この大きさで一家族。ざっと考えると必要十分の広さだ。

ここでは基本的に薪ストーブだけを置いているのが面白い。
引用元の内容とは若干異なって感じるのだが、それには意味があるようだ。



日本のCLT規格とは異なるので細かい所までは不明だが、建設中を見ると壁の厚さは75mm程度。ドアなどの開口部から推測すると断熱材の厚さは50mm前後か、それ以下に見える。

これは北海道よりも薄い。断熱材がゼロと言う場合も考えられる。
だがエネルギーロスが大きいという観点で見る事は早計だ。
(実は内心やってくれるなぁと感心した)

時代に逆行してるのではないか?
そう思う人は洗脳されてしまったのかもしれない。

確かにこの北見地方では外気温-15度として室内を22度前後として計算すると、常識的経済エネルギーでの考え方ではグラスウールは160mm以上となるだろう。

だが、現行の工法でも壁体内結露は避けられない。通気層を付けているから大丈夫。そう思っている技術者は甘い。工学的な事で言えば、断熱性能の数値は同じでも素材物性で性能挙動は異なる。表面密度一つとっても水分の蒸発や反射熱・遮熱それらのタイムラグも異なる。

現状はそれら実に複雑に異なる物をざっぱくにまとめて、えいや!と計算上に載せているだけに過ぎないのだ。ならば・・・と、省エネの御旗の下、どんどん厚着するように断熱材を重ねていくことになる。

しかしそれは温度管理での話。その温度管理は確かに省エネルギーには寄与するだろうが、一体工学的に、あるいは人体にどれだけの効果があるのか。例えば管理された湿った素材が壁体内部に有る事でも全て悪い方向と言えるのか、あるいは本当に薄着で過ごせるのが良い住宅なのだろうか?

これ以上は工学の話ではなくなる。

医学の観点からはどうなのだと、同席する機会があったので聴いたことがある。
双方数名ずつのドクター達が応えた答えはご想像にお任せする。
その結果が、あの腐敗菌までもが喜んで居るように思えるほど、快適な、病室だ。
同じく環境工学やCasbeeも、皆澱んだ空気を目標にしているかのようだ。

建築学と医学との、学際的な接点は相も変わらず産まれない。
まずは、建築が不健康な環境で患者を作り、それを医学が補修する(その中で培養され適応してしまったら完全には戻らない)
悪代官と大黒屋のような互恵関係は維持しながらも・・。
どちらの業界も困ってはいないので真剣度は無い。
実に馬鹿っぽい。


この例は少なくとも暖房に関する考え方の違い、ログハウスに慣れている事(木材を断熱材としても見れる観点)、また日本の省エネルギー分野では考慮されていない、木材の表面温度の温冷速度や蓄温冷速度等の、タイムラグの考え方の違いに由来しているのだと思う。

この程度の大きさの気積を必要な温度にするための、薪ストーブの温度特性で行けば、またキャビン(別荘)での行動様式から行けば、北海道のような一日同じ温度を目指す事は不自然という事なのだろう。

無駄は日本の省エネルギー手法や政策や工法の中にも沢山ある。
現行の建築一般常識の、断熱材の厚さやC値を競うだけの省エネは、不健康な人の為の優秀な保育器を作るだろうが、精神的な健康や人体の基本的自律機能までもは保証しない。

経済枠内のみの観点で組まれた省エネルギー。それ自体人間のライフサイクルから見るとバランス要素の一部なのだ。過大に扱う事は間違いだろう。

引用元


2015年9月14日月曜日

スマートな杖

昨日日曜は義兄の一周忌の法事。
朝、術後の処置を受けて出席その後、温泉旅館で会席。
やはり傷口をかばうせいか姿勢がおかしく、病ではないが股関節が痛む(幼い頃に脱臼している後遺症)。
我慢をしているが、普段でも長時間立位の場合は厳しい状態なのだ。
まぁ、身内だけの場でもあり、我慢をせずに杖を持ちだした。

ところが、久々なもので杖が上手く使えない。
タイミングがつかめなく歩行がぎくしゃくしてる。
これはカッコ悪い(笑)

クラッチ杖・スティック杖の両方を持ち出し、どちらが不自然さが大げさにならないかでスティック杖を選んだ。
スティック杖 老人用の物からは良い機能デザインの物が見付けられないので、トレッキング用のを使用している。
デザインは豊富。おしゃれな物も機能も多種多様で面白い。 でも、手首は疲れる。

クラッチ杖 現物もこれ。これもねー、一長一短。安定しているんだが、物が大きく邪魔くさい。


駐車場に置いてある数十メートルの距離の往復が厳しい一日だったのだが、久々に杖を持ち出して気が付いたことが沢山あった。杖のスタイル・方法論を改善できるアイディアもつかんだ。今日はそれをまとめている。

すまん、また道草を食っている。

2015年9月13日日曜日

悪夢でもあり現実でもあり

チョットした手術後、モチベーションが低い。

ちょっと早めに寝て夢に泣かされて目が覚めた。
夢だから辻褄は合わない。
独立したての事だ。幾つかのコンペで入賞し道外を走り回ってた頃の記憶と重なる。

他の町から設計依頼された雑居ビル。それが完成オープンするらしい。
学校から帰って来て暇を持て余している、長男と次男に「行ってみるか?」と声をかけた。
3番目はまだ小さく奥さん側と行動を共にしてたんだろう。2人は「行く!」と二つ返事。

そしてそのビルへ。現地を探しても僕のデザインした物は建っていない。
ちょっと離れた駐車場に車を停め、子供たちに「ちょっと待っててくれ」と言って降りた。

現地には、妙な安っぽい趣味の悪い建物がある。全く別ものが建っていた。悪夢だ。
オーナーが呆然としている僕を見つけ「この人がこの建物の設計者だ」と大勢に紹介した。
拍手が収まったころ小声でオーナーに抗議した。
「なんですか、どうしたんですかこの建物」
「いや、業者を値切ったらこんな風になっちゃって。悪いけどこの後も面倒見てくれよ」
「え?そんなの責任持てませんよ、一体何の面倒なんですか?」
「入居するテナントには新進気鋭の建築デザイナーがデザイン面での面倒を見る」って言ってあるんだ。そう言って10名ぐらいの企業に逢わされた。勢いに負けて、挨拶をさせられてしまった。

よく見るとひどい建物だ。嫌だこんな物の責任を取りたくない。テナントもどこの何だかよくわからない。それでも最高の愛想笑いとベンチャラと、テナントの不安を取り除く臨機応変のアイディアとを連発して行く。深みにどんどんはまっているのは判っているのだが、順序立てた嘘に組み込まれていては簡単には抜けられない。
最初の嘘に巻き込まれることを避ける事よりも、予想外の展開を切り抜けるのに没頭していた。

数時間経ったのだろうか、テナントたちを納得させる為のパーティも済んでへとへとに疲れたころ、更にオーナーが何か言いたそうだったが逃げ出した。

日も暮れて辺りには雪が積もっていた。
子供たちが・・
急いで待たせている所に駆けつける。
暗く広い駐車場に、僕の車だけが停まっていた。

見えると同時に遠くから次男の泣き声が・・・
見ると2人取っ組み合いのケンカをしていた。
長男は少し我慢するのに比べ、次男はいつも状況を素直に表現していた。
2人は不安な感情を相互にぶつけるしかなかった。
そんな状態にしたのが申し訳なくて、抱きかかえて2人が泣きやむのを待った。

順番を追って話すのが得意な長男に何をしていたか聴いた。
不安を我慢しながら、僕がどこにいるのかアチコチ捜し歩いた事を話してくれた。
二人は知らない街で何を手掛かりに僕を探したのだろうか。
その頃、僕は否定しながらも、この子らを忘れ、どこか生きがいを感じて「嘘つきの商売」に没頭してたのだ。全てを聞くまでもなく、子供たちに申し訳なくて、声を上げて泣いた。

自分が嗚咽する声で目が覚めて、今は子育ては終了した事に気が付き、安堵した。

起きあがり、しばしうなされた事を想う。
僕のオヤジは布団屋で、その配達とか御用聞きの車に乗るのが好きだった。
田舎道をトコトコ走るのも、オヤジが客との対応時、そこの周囲の風景を一人眺めながら待っているのも、とてもよかった。そう言うのを体験させたかったのだが、この夢はそれを上手く出来なかった負い目か、それとも急場しのぎが多かった商売のせいか・・・

子育てに関しては彼女はとてもうまくやってくれた。文句は一切ない。こちらも学ばせてもらい感謝している。それに比べてどうだったのかと考えると負い目があるのだ。

足抜きが出来ない状況は現実にも多々あり、多くの場合筋書通りには行かない。
芸術家は、単に自分の技の範囲で自分の想いを表現出来ればそれで一応の一件落着、表現されたモノが評価対象だが、デザイン業は他人の事業を成功させる事でようやく評価される。それも他人の技(能力)を使っての事。

見かけ以上にハードなのだが、軽く見えるせいか、真剣に成功したい人達だけが集う場面などはほとんどない。むしろ障害の山積から始まる。常に能力や目的とはかけ離れたところでの、妥協と食い違い。引き返せないがための説明と納得が必要になる。普段、泣きたいんだろな、本当に・・。

結局、自分の歪みに決着させ床に戻った。 この夢は2度と見たくない。

2015年9月7日月曜日

sketchup 構造系のプラグインでちょこっと描く


Sketchup T2H Building Structure Tool と言う素晴らしいプラグイン。
(前記事からの続き)
この完成度を見てると新たに描くのも滑稽に思えて来た。
むしろ、これをベースに自分なりの使い方をしてみる方が早いかもしれない。
プラグイン自体にパワーがある。
 
sketchupで3次元モデルを作る場合、よくある方法では平面図の輪郭面に高さを与えて3次元化する。
これは手っ取り早くパースを得る方法として一般的になっている。
意匠系の人はそれで十分なのかもしれない。
僕も意匠系なのでそう不便を感じてはいないのだが、その3Dモデルはそれ以上の用途には使えない。せいぜいパースと平面立面展開図と、いわゆる意匠のみ。
この方法で作られたデーターではマスターデーターベースにはなれない。

世の中の建築家には意匠系・構造系と分かれていて正直言うとその分類は間違っているんじゃないの?と思っている。
構造が分からなくて(責任を持てなくて)デザインするってのは感心できないのですよ。

新国立競技場の騒ぎはまさしくそれ。そう言う常識がまかり通っているから起きた事。
「デザイン屋さんもきちんと造形に責任をもてよ」基本的にそう思っている。

だからsketchupも平面図から起こすなんてことはしないで直接3Dモデルを描いている。
2次元CADは書類に出すとき、あるいは2次元CADしか使えない人とのコミュニケーションに使っている。その方が構造的な検討などにも有利で食い違いがない。
その後、結果としての図面を吐き出せばいい。図面はものを作るときの伝達の方法論であって、それが目的ではない。「図面屋さん」とは少し考え方が違う。

で、下は簡単な基礎例(北見地方仕様)


北海道仕様のデーターで描いてる(こんなのは付いて無い、オリジナル)

この3Dモデルは構造系プラグイン(作者の視野の広さが判る)を使ったので、簡単な基礎とは言えど、すべての構成部材に符号が入る。これは構造計算をする時に負担面積や荷重などを検討するのに有利。意匠系の平面に高さを与えるものではまた再度作図をしなければならない。
またコスト検討の時も構成部材単体が分離していなければ複合単価だって活きてはこない。
エネルギー計算だって、東西南北では条件が違うのだ。

jw_cadが作られる以前、CADマスターデーターベースと言う構想を持っていた。
その当時の国産cadにはそう多数のレイヤーは無かった。autocadは無限にレイヤーが作れるので、せめてjw_cadはグループ化した多層レイヤーにしてくれとお願いした覚えがある。今のレイヤー構成はそうした意見を汲み上げてもらった物。だから256レイヤーの他に線色数と隠文字数を掛け算で十分に描き分けられる。

結局のところ3DCGも2DCADも、描くときは省力化しながら、どれだけ正確でかつ現実に即した情報を沢山込められるかに尽きる。よほどの他のデーターベースとの照合システムがない限りは、省略してとかまとめてと言うのは、スターデーターベースにはなり切れない。

或るソフトウェア会社に頼まれて、そう言うソフトの開発スケジュールを組んだのだが、CADの黎明期すぎて没った。今の時代なら可能なんだろうね。そう言った意味でこのプラグインは汎用性が高い。

プラグイン側の記号とコメント・マテリアル・任意名称、それに基本の任意無限のレイヤーとダイナミックコンポーネントの任意の属性付加で「どうなっちゃうんだろ」と言うぐらい拡張性がある。BIMにはもってこいだなぁ、と改めて思う。

左画像はマークした基礎部材のアトリビュートをエクセルで読んでいる図。一部材で210行ある。(まだ何が書いてあるのか理解してないww)

いずれにしても部材に、このぐらいの属性が付加出来れば工程管理・資材調達時期のコントロール・工事資金管理など、建設業全般に活かせる。(何を言ってるのかって?www)

いや、このプラグインはこうした僕の妄想にも対応してくれる物。これは今までになかった。素晴らしい!



おまけ
ある仕事で面白い事が有った。
平面図が出来、その次立面図が出来、その後展開図が仕上がっていく。そう言う風に思い込んでいる客が居たのだ。(昔はそうだった)
いわゆる「設計事務所をうまく使うためのマニュアル」を信じ込んでいる。
そう言う客から見ると、3Dでの打合せはこころもとないらしい。

「あのですね、僕は何でもデザイン屋なんですよ。図面なんてものは作る物が決まった結果なので、詳細までの検討が終わった後でいいじゃない。」と言っても聴かない。

仕方がないので途中で2次元図面を吐き出すと、数値も全て出ているのに意味不明の変更の嵐。より現実的なデーターや打ち合わせた内容より、実際には見えない記号化された2D図面の方が信用できるとは・・。2D図面だけが正確な物と信じている。いや僕がやっているのは、それらの欠点を補うための方法論。現在は正確無比なんだが・・。思い込みとは恐ろしい。

まぁ、どんなマニュアル本なんだか知らないが、遅れている事はなはだしいのと、いわゆる既定の図面が欲しいだけなのにも呆れた(頭が固すぎるのと権威主義、活字を信用しすぎる)のと、実際の現場トラブルが予感されたのでこちらも降りた。

2015年9月5日土曜日

ちょっと新しい事を試みる

建築関連の友人が逝った。
晩年奴はどういう仕事をしていたのかと思うと、こっちも溜めている物を吐き出しておかなきゃぁなと思う。

最近sketchup2015に入れ替えたのでまだ手間取っている。
国産プログラム言語のRubyはやって見たかったので
まぁ、とりあえずそれ関連。

免震装置などちょっと手掛けてみると、常識的な建築の構造計算の大前提にちょっと疑問を持っている。

話は簡単なんだ。
お国では、こう言う物は計算できなければ問題の解決のしょうがない。
だから、構造計算のルールを決めた。だが、それは手で計算するしかなかった時代のルール。
それが現在でも続いている。

例えば柱。 ほとんどの場合は四角い。 なぜか。 
構造計算者は言うだろう。
「まずは計算できるように、地震などの建物にかかる力方向を座標に置き換える。それがXとYとの2方向の合成で表すから」
柱が四角い事は、この前提から行けば(解くのに、また作るのにも)合理的なのだ。

でも四角いという事は対角線上からの力にはもっと抵抗できる事、つまりは耐力としては過剰な状態。安全側ともいうが、その検討はサボっているとも言える。

全方向に均等に抵抗するのであれば丸柱。これには構造計算者も異論はないはずだ。
だが、計算するには、いや作るにはコストがかかるので、四角の柱が一般的になっている。

それでは梁はなぜ四角いのか。
もうこれには製造コストの面としか理由が立たない。
その方が計算しやすいという事もあるのだが、梁は常に重力を支えている事から柱の様にXYのような方向軸が異なる事がない。いつも一定の重力方向。
一部ラーメン構造のような場合もあるが、四角いのはコスト面でしか理由がない。

BIMとして北海道厳寒地仕様の基礎や新たな構想の大梁・小梁・柱類のデーター作成

丸太を切る事が大変だった時代のルールが今でも続いている。
集成材での梁あるいは合板梁などは、もはや四角くなくても良いのだ。
同じ強度を出すのにいつまでもソリッドな梁に固執する事もないだろう。

と言う風になるのだが、今は構造計算方法が昔のまま。
確かにコンピューターを使う事で能率は良くなったのだが、使用している計算式は手計算の時代の公式である。
事務屋さんの発想が帳票にこだわるのと同じ。それ以前に事務プログラマーが「簿記」から抜け出せない。資産運用はもっと循環的・補完的。動的な物だと思うのだが(ま、それは別の機会に)

という事で手慣れた建築技術者なら笑って見ないふりして通りすぎる話なのだが、ずっと納得をしていないのだ。

これを何とかしたい。構造業界の人からすると無謀なチャレンジ。でも少なくともきちんと構造計算が成立し、かつ安全で経済的になるのだから、業界に逆らってちょっとやって見る。


参考にしたプラグイン作者のT2Hさんと言う人・・・
このsketchupプラグインはT2H Building Structure Tool。素晴らしいプラグインだ。スクリプトを読んでいると、モデルに属性を与える場面ではこの人は本当に建築が好きな人なんだなと思う。設計者によって物事の整理の仕方が違うんだけど、この人はとても前向きな人だ。

演劇の場面のようにキャストに何を演じさせたいのか。それ行く?みたいに、部材部材に対する愛情がある。なんかBIMって「このイニシャルコストが~ぁぁ!」と、営業面に有効みたいに思われているけど、この人は違うね。この人は完璧に建築馬鹿だよwww。


まぁそんな鑑賞をしながら、作者のtaha2hataさんのデーターに、BIMデーターとして僕の方も新たにやりたい事を加えている所の図。勿論作者が意図としていない使い方を強引にしているので、ちょこまか変更している。




2015年9月4日金曜日

友人逝く

詳しい事はまるで知らされていないのだが、地方紙で友人の葬儀欄を見た。

逝きやがった。

数々の破天荒なエピソード。書き出せばきりがない。
楽しい奴だったが、どこか破滅的な匂いのする奴だった。

最後に逢ったのはいつだったか・・・・。
どう言う所できっかけが有ったのか思い出せないが、とにかく久々だったので別れがたく、近くの国道沿いのファストフード店で小一時間話をした。

ソレ以降の事、今はどこで何をしているのか、前を向いているのか・・。
聴きたい事は山ほどだったのだが、少し寂しげな奴の笑い顔を見ていると、聞き出せなかった。
 
それでも「大丈夫だ、建築の仕事してるよ」と聞いて安心しようと思った。
それから10年は経っている。


2015年8月31日月曜日

宗教的行事の準備に参加

報恩講の準備に駆り出された。
初めていくので、と言うより他人と共同作業と言う場面が苦手なので気後れしている。
が、とりあえず身内の顔を見つけて仕事をする。(実は今までになくパニクッタ)

講師とか、プレゼントか、通常の仕事とか、別もの扱いされているならば、やることは決まっているので迷いもないのだが、今日はどういう訳か気持ちが揺れた。

まぁ、やって見ると世間話合間に手を動かしているような物なので気楽でぬるい仕事なのだ。そうかこう言う仕事なのか・・。

思うにこう言うコミュニティ類の仕事の知恵と言うのは、普段やっている「責任が~、使命が~」などと、覚悟抜きには出来ない仕事と違って、その人の持っている能力のほんの一部分を使うのがルールなのかもしれない。

正直今まで、そう言う気楽な取り組みはしていなかったな。やると決めたら全力。だから周りも辛かったかもしれない。(NPO時代を思い出す)
だけど、どこで手を抜けばよかったんだろう・・・。

 体力的に疲れる仕事もなさそうだし、「僕でなくとも出来る仕事」ばかりなのだ。

あれ?僕でなくても良いならなぜここにいる?なんて思いながら、無責任な状態を楽しみながら、ブラブラしていた。

あれ?ここの斗栱(ときょう:梁や桁にかかる力を分散させるための木組み)よく見りゃちょい変わってるぞ。これは3Dで残すべき木組みだ。新たな発見に一人気をよくする。



最後に化粧幕を張り作業は終了。

久しぶりに会ったいとこが仕上げの幕に何かと指示を出している。

その腰付きが悪くない。

2015年8月27日木曜日

妙な物が意外と興味を引くらしい


財布代わりに使っているカードケースの記事が意外と安定したヒットがある。
毎月50以上のヒット数。たいした数字ではないが、中身のない小物なのに、へぇぇ・・なのだ・・。
低空飛行なのだが毎日必ずヒットがある記事は珍しい。

上のリンクは昨年6月の記事。そこで、下は今はどうなっているかの写真。

変わったのは硬貨が当たる部分に、一般の財布の内貼りに使う合成皮革を貼ったのと、同じもので硬化落下防止の為のベロ(何というか判らない)を付けた事のみ。

ビンボ臭い?ビンボだからこれでいいのだ。
よく長財布がスマートと言うが、長財布なりの金を支払う仕草がスマートなのであって、それは経済的な戦士スタイル。よれたジーンズしか着ないオッサンは、経済行為から離れた役柄なので財布は極小なのだ。

好印象かどうかを決めるのは、財布その物のデザインではなく、役柄やシュチュエーションだろうね。ウォレットチェーンを付けてまで、ジーンズの尻ポケットに何やら分厚い財布らしいものを突っ込んでいるのはどう見てもスマートには見えない。

長財布もそうだが、金を払う時如何にさりげなく行うかなのだろうが、「それが財布かよ!」と言うのも一つの遊び。(コンビニの人達は財布と客の動作をよく見てるね。)

ま、もう少し高級な仕上げにしてやってもいいのだが、面倒くさい。(その内やろうと思ってるが)

これで何かの拍子に硬貨の音がしたり落としたりすることは無くなった。相変わらず床付けもしない皮を貼り付けたままだが、何の不自由も感じない。

よくwebで見かける「薄いとか小さいとか」を売りにしている財布もあるが、全然欲しいとは思わないほど容量と大きさに利点がある。

大きさはカードケースというのは何にしても利点。これ以上小さくは出来ない大きさ。更に改造する事はあるだろうけど、僕はこの路線で行くだろうね。


2015年8月6日木曜日

ふーすいすい

12歳の頃、中国の東洋占星術にはまって、ついでに西洋占星術をやってみた。すると、西洋占星術がまるっきり東洋占星術のパクリだと言うのが分かった。

中学生なりに「おーこれがシルクロードか」なんて感心してた。

その後、いわゆる今風に言うとブラックマジック・ホワイトマジック(ダヴィンチもこの頃なめた)、それ系のオカルトや聖書やバラモン、その他の新興宗教本、ギリシャ神話あたりで、平行してギリシャ哲学や現在に至る心理学などを読み漁り、日本のではオカルト澁澤龍彦を一通りかじった思春期。


まぁ、それぞれ本の上澄みを読んだだけなので、たいして役にも立ってはいないんだが、今なら、かなり危ない犯罪に走る寸前の若造と評されただろう。

人間、無い物ねだりをする時に道を踏み外すのだが、読んできた物は全て「現実には無い物」。
最近ニュースになっている「人を殺してみたかった」のような情動から得られるものは無いに等しい事は知っていた。

だからそれに類する事件を耳にするたびに、マスコミが異常性を際立たせるために言う「殺してみたかった」と言う表現を目にするたび違和感を感じる。そんな「個人を異常に仕立てあげる」のではなく、現代の「死に至る情景」を見たことが無い世代が多くなった異常性に着眼すべき、と思う。
ま、それはこの件に関して関係ないが・・

ヨーロッパやイスラムの、権力者側のコミュニケーションツールとしての建築を見て「そう言えば西洋建築学は体系としてあるが、東洋の建築学は無い」事に気が付いた。

それに代わる物として、環境工学として地理風水を読みたくなったのが25年ほど前。荒俣宏がデビューしたての頃だ。

この本はその頃「中国の文化大革命などや度重なる焚書で、大陸には風水の本が無い」と台湾人に近しい人に言われて購入した本。

今でも基本路線の風水が残っているのは、台湾・香港・沖縄(隠宅のみ)。韓国は国民性なのか、まじないの中の呪いの部分しか残っていない。相変わらず富士山に見立てた岩を毎日叩いている。ww

どうでもいいことだが、どくたぁ なんとかと言う 自称風水師が居てそれにつづく連中が日本にもいる。

言っておきますが、風水師とまじない師は違う。
面倒だから省略するけど、弁護士と司法書士ぐらい違うのであります。

日本のアレ達は、みんなまじない師。風水は権力者の物だったけれど、万民の為・政策として使われた物。個人の欲や怨念などを増幅する為、あるいは不幸を押し付ける為に施術を行う、まじないとは違う。風水は今の中国が忘れてしまった、他を活かし共栄共存、これに基づいている。我欲の物ではないのだ。

古代中国での科学と言う体系の下、地理風水は書かれている。この裾野は医学薬学まであり、その延長に現代に残る鍼灸や漢方がある。また天文学東洋占星術や地学地勢学もある。構造力学・材料学もこの体系に含まれている。学問のブリタニカ東洋版と言ったところの物だ。

自称風水師達の商売を見て思うのだが、金を払う側も「えんたーてぃめんと」の代償なのだろうからどうでもいいが、その連中が近くに居る時は許しませんよww。
頼まれて、大手建設会社の営業マンたちにも「まじない手口と論破方法」講習をやった事もある。ww

唐突にFBで「風水」の文字が目に入ったもんだから、本棚から引っ張り出してみた。
相変わらず「原書 地理風水」にしては底が浅い。
まぁ細かい所はどんな宗教でも後付なので「原書」としてはこれでいいのか・・・。

追記:
googleで検索中、国土交通省で こんなのがあって 笑わせていただきました。


2015年7月29日水曜日

作られた「物」が正確に記憶してる

ビルも、20年もすると相当痛みますね。

ビルも、用途や構造・仕上げも多種多様。

その時の法規や経済状況や職人事情などで、千差万別。

単なる流行だったり、経済事情などの背景がシビアだったり・・・。

設計者の力量や施工企業の技術力、職人さんの配慮や材料の優劣・・。

その時、優先順位がなんであったのかを、「物」は正直にかつ正確に記憶していますね。

まるで考古学気分。いや、勉強になります。

2015年7月19日日曜日

ザハ・ハディドが悪いのではなく・・

すっかり日本でも有名になっちゃったね。ザハ・ハディド。

これは北京に建設される世界最大の空港(LINKは元ネタ、どういう人かこの時点で判る)

ん十年前、この人の才能を一番最初に評価したのも日本人、建築家磯崎新氏。

彼女、昔はとがった直線構成で床も2次元的斜め(片側だけでなくw)だったりして・・。「表現したいことは判るけど、それを【建築】でやるなよ」と思ってた。

彼女の基本、絵画なのよね。それがネタとして建築を使う。ほんとはちょっと建築をいや技術を侮辱している人。

時代が変わり建築家も、一人で何でも出来る人が少なくなって(いや本来そうでなければならないのですが)、分業制やCGの時代に突入すると、色んな人とチームで補う事が普通になった。

そうすると、あ~ら不思議、彼女のそれが「建築的」に見えて来る。ww
いや、他にも実際「絵」で食ってる建築家も多い。ww 
中にはあるCGプログラムの、ある一つのプラグインに、デザイン依存している有名建築家(自分では使えない)さえいる。それを使うとそれっぽく見える。見えたら勝!www

ザハもその傾向が有って、彼女のデザイン目的は骨組より「表面の膜」の表情。いや非常にCG依存度が高いせいか、彼女のデザインではなく彼女の案を描いているCGスタッフの傾向が出る。そこには彼女の想定してないCGプログラムのコマンドの癖もある。

通常「膜」は骨組間を連続させる物だが彼女のは違う。そこの違いが判らないと組み立てようがないのだ。(今回の日本側の解釈は面白いぐらい考え方が判っていない)
 
彼女の事務所が日本の競技場に関してこう言っている。「日本は既存の技術に縛られている」と。
 
この技術的ギャップ。彼女側の言い分も判る。

安藤氏が理解できていたかどうかは知らないが、彼女は生物的な構造をイメージしていた。ここ10年の彼女の傾向がそうなのだ。

それは現在の国交省がかろうじて認めている(設計業界では面倒なのでやりたがらない)3次元的な自由形状の有限要素法的構造解析手法による構造物だった。

平たく言うと3DCGをベースにした構造解析。現在の日本で行われているのは、その中でもせいぜい建築を計算公式に乗っかるように、線形を組み合わせた3次元モデル。ザハの形を実現させる技術は、線の構造モデルではなく「ソリッドな3次元構造モデル」だ。これは全ての部材をメッシュに切る高度な解析技術なので、日本の建築分野ではまだ一般化はしていない。


まだわかりにくいね。じゃこう言う説明ではどうだろう。

立木がある。これはどのぐらい強さがあるか。曲面のみで構成された自然物の強度。今まではそれを似たような幾何形体に置き換えて計算していたが、リアルな形状での強さを計算すると言う複合的な計算技術だ。

これを正確に計算するのは容易な事ではない。でも3DCGと材料工学と建築構造を融合させる事で、極めて近似値まで計算可能にはなっている。

当然、構造に興味が無いザハはその方法論自体は知らないだろうが、世界にはそれを行う(マネージメントと言う方が適切か・・)建築家が居て、彼女もその存在を知っているのだからしょうがない。現実に日本は遅れをとっているのだ。



原案と、コンペ以降に彼女の案をベースにして日本で書き直した案。

これは一見似ているように見えるけど全く異質な考えによるもの。ザハ側のもヒドイが、日本側の手直しした物もひどすぎる。

ザハはアーチに重力を無視して弾性を求めているし、修正案はこれを剛として、最初から最後まで過剰に同一断面(計算しやすい様に手抜き)にしてしまっている。

修正案。もしも、それぞれの部位に発生する荷重を忠実に構造に負担分布させたなら、こう言う形にはならない。修正案は見せかけの骨組みに固執した結果の、それも過剰設計と言わざるを得ない。


修正案は中央開口リングを外周で支えたドーム。ザハ原案のキールアーチは船の竜骨を意味している。無論本来のキールアーチは水圧に抵抗するので木造船等では基本骨格で太い物だが、重力関係を逆転した空中にあるので本来の骨格的意味合いは無い。

日本の構造者はそこを無駄だと言っている。さもあらん。しかしそれは船の場合のキールアーチであって、空中には空中に有るべき形はあるはずだ。それを見出さずに結論付けるのは早すぎる。日本のこのアーチの方がザハよりもっと意味がない。

大きな違いがある。ザハの屋根膜は膨らんでいて自立しているが、修正案はアーチからぶら下がっている。アーチに荷重を集中させているのが、そもそもの・・・。読み違えの諸問題はここから始まっている。

ザハのはまだアーチから下部のシェル構造あるいはリング構造へと、力を有機形態で分散させるデザイン要素が残されているが、日本のはその検討が無い。だから地下に巨大なタイバーが必要となり地下鉄にまで影響を及ぼす。

例えば、一番高い部分とそれを支える下部の部分では、負担する力は大きく違う。ならばそれぞれの位置で、骨組の密度や骨の太さには差が出来て当たり前なのだ。木に例えれば、先端の梢・枝・幹そのなかでも負担によって全て太さは異なる。この規模の構築物の究極の合理的構造=自然形態は、そうした重力的ルールによる物だ。

中小の構造物にそのシステムを用いるのは部品数が少ない故の製造コスト高になるが、この巨大な規模だからこそ中小とは逆に、「自然の摂理」に従わなければ確実にコストアップになる。

ザハは案の時点ではその事に気が付いていないので、修正する時に「地球上の脊椎動物には全て小骨がある」事を了解させれば良かった。それを修正する機会があったのに「修正案」は、構造的答えを数学的物理的に収斂させる手続きを怠っている。それはアナグラムを作成するかの様に物性と力との往復が予想されるが、それは中々面白い作業だろうに・・(正直やりたいww)
 
いずれにしても、どちらも理にかなっているとは言い難い強引な構造計画。
これを元に「予算が~」と、ケンケンガクガク。ww
理にかなっていない建築はコストが上がる。これじゃぁな、と言うほかはない。

それにしても国際建築家さん達、正直、情けないよ双方。
周りの無責任さにもね。

関連
ザハのやりたかったこと

2015年7月17日金曜日

63回目を過ぎたところで

Reasons for religion -- a quest for inner peace | Daiko Matsuyama | TEDxKyoto


僕は、あんがい強めの浄土真宗一族に産まれた。

ひょんなことからカトリック系の学校に行きたくなった。
行ってみて礼拝堂を見てそこで勉強したくなった。

良い機会だからと大小の聖書はずっと持ち歩いてた。
尼さんと一緒に勉強したり物事を考えたりするのも役に立った。

3-40代、色んな宗教的建物を考える機会に恵まれた時代、あるインスピレーションが有った。
夜中そんな夢から飛び起きて、見たことをメモしようと思ったのだが言葉にならない。
でも今でも鮮烈に覚えている。

それはこのお坊さんの言う事と非常に似ていた。
いや同じことを意味している。

それを、お坊さんは言葉で説く。
画家や建築家は光(陰影)や物で説く。

でもそれが判った今となっては案外時間も機会もないんだよねw


2015年7月15日水曜日

方丈記の方丈庵-6  方丈庵的な・・・和室を素直にアールデコ化するとこんなんかな。

これはTiny House。 11ft×11ft×11ft のキュービック。
(外寸で3.3mの立方体。友人のリクエストにお応えします)
方丈庵は平面的に正方形だが、これは立方体。

車、スマートの大きさは2.74m。それよりも60cm近く長い。
しかし8帖間(3.64*3.64)より30cmずつ小さい。

日本の影響でアールヌーヴォーやアールデコなんぞというややこしいモンが産まれたが、障子をスチール化すると、どこかヨーロッパのドイツあたり1920年代のデザイン学校がやってたデザインモチーフに似て来る。(笑)  少しレトロデザイン。

(取り壊しちゃったけど北見市役所のスチールの窓、中々面白かったんだけどなー・・。
あの窓金物、もったいなかった。)障子かガラスか、はたまた別な素材か選択は色々。

ドアの高さは1.53mのDoor wicket (small door or gate) くぐり戸。
茶の湯では「ここから別世界」の宣言は結界石だが、ここではわざと禿頭口(茶室用語。ハゲ頭を下げなきゃ通れない)


中身は

  • キッチン(冷蔵庫・食器棚・電子レンジ・コンロ含む)
  • 洗面シャワー兼トイレ
  • 4名かけテーブル兼来客用ベット(セミダブル) 
  • ワークスペース
  • ベッド(ダブル)と
  • 2畳ほどのフリーな空間。


これらは特別小さなモジュール寸法のナニカと言う物ではなく、キッチンも60cmの通常モジュール、冷蔵庫は彼女とディナー用の食材とワインが冷やせる90L(何人で住むつもりだ、おい!)。

とまぁ、ほぼフルセット。(まず、信じてくれないww)

ほぼ・・と言うのは実は洗濯機が無い。置けば置けるんだけどアレの周りは美しくないのでこれには入れていない。(付け加えるのは可能。)

これは平面的に、日本式のプランニング手法(大枠を決めて間仕切りしていく)とも、海外での手法(用途を接続していく)とも違う、限られた空間、立体を斬っていくTinyHouse手法と言っていいと思う。キャンピングカーなどでも使われる一人称的寸法と言うべきものだろうか。

ま、そう言うジャンルがあるのです。





方丈記関連
1.方丈記の方丈庵-1 日曜日なのでTinyHouse
2.方丈記の方丈庵-2 今までの研究内容に納得がいかない
3.方丈記の方丈庵-3 ディテールについて
4.方丈記の方丈庵-4 カーテンウォール「網代」
5.方丈記の方丈庵-5 外装の変更



方丈記の方丈庵-5 外装の変更

ふと、旧来からの友人と話していて思いついたので試してみる。
主な骨組格子はそのままにして、網代貼りだった蔀戸、板張りの舞良戸を障子に変更してみた。
妻の網代パネルはそのまま残している。





そう言えば日本には昔から「防水紙」があった。
和紙に菜種油等を含浸させた物だ。
時代劇の長屋に見られる障子、アレ。

多分鴨長明の時代にもあったはずだ。

ただ、鴨長明自身が記述しているように、この方丈庵にはそれは無い。
まぁ、元祖プレファブ・モバイルタイニーハウスとして記録に残る「方丈庵。」
このぐらいの遊びは良いだろう。

格子をそのままにしているので、まだ少し検討する必要があるが、思った通り現代的表現になる。
ふーん・・。面白い・・・。

方丈記関連
1.方丈記の方丈庵-1 日曜日なのでTinyHouse
2.方丈記の方丈庵-2 今までの研究内容に納得がいかない
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2015年7月8日水曜日

気になったTinyHouseを写真から起こしてみた。(sketchup)

前から気になっていたTinyhouseがあったので3D化した。手掛かりは写真のみ。(元ネタの写真集
この写真集の撮影にはきちんとした照明機材を用いているようで、こちらも多少外部に照明を当てた。大きさはほぼ8畳間なので撮影には各種のレンズや補正を用いている。プロ・・だね。
まずは一通りこの写真集を見て欲しい。話はそれから。

サムネイルが元ネタ。家具その他は時間が掛るので手抜き。床のマテリアルも作らなかった。

でも、8畳と言う広さを改めて見直す。この中に台所もあればシャワー兼トイレもある。
2人で暮らすには狭いが一人ならば十分だ。

建築をやっている夫が設計し、妻にプレゼントした約8帖大の小屋。


外観:バルコニー付属だが、本体は8畳程の広さ
書斎 ワーキングスペース
居間部分 家具はしごも省略

収納付ロフト マットが置かれる

実は最初屋根勾配を間違えた(判らなかった)。空間寸法がどうにも
合わなかったとき、ふとこのサムネイルにある十字架で気が付いた。
この屋根勾配は、黄金比を用いていた。このダンナ・・やるわww

上の画像はちょっと暗いので マットを置いて光を拡散させた



















元ネタのwebには平面図などは無い。これは写真をスケッチした物。写真がプロの技が多過ぎて、SUのトレース機能は使わなかった。だから2・3cmの誤差はあると思う。


写真は巧妙にそれぞれのパーツの大きさを連想させないように写している。これには誤解を避けようとする注意深い意図と解釈している。

これは「なんだ、実際は小さいのか」で話が終わる人が多いから。そこじゃないんです。もちろん小ささを競う競技でもない。


TinyHouseの価値は、現実の物の大きさではなく、日本の茶室の様に心象的内省的空間の広がりにこそ価値がある。

写真集は十分それをとらえていた。
この設計者の意図はそこにあるのだろう。

何ゆえにこの狭さ。

実はこうなのだ。
建築は相変わらず権威を表現する道具でもある。
広さや大きさはその依頼主の経済的影響力の手っ取り早い象徴でもある。
その権威が空しい物に見えた時、いや何かに気づいた時、それを是としてきた建築家は猛烈な虚脱感に襲われる。そう言う失恋にも似た傷心感を持った建築家は案外多い。

コストパフォーマンスなどの経済や工学や建築学では到底ない話。さまざまな形で、一丸となって人の欲望に迫ってくる物欲等とも一線を引く。

それは、例えば「建築での愛情表現」と言うもの。こっちの方の話なのだ。

「広さ・大きさ」の対極にあるこの心理的建築設計手法は、晩年期のコルビジェやライトにも見られる。ルイスカーンにもちらほら・・・。それが自然に見えてくる。設計者の想いの密度が高まればこのようになるのだろう。

空間を小さくして、内省的空間を大きくする。
人間が持つ補完本能としても有効である。
しかし内省的空間感覚には個人差がある。
TinyHouseはまさしくその柔軟な尺度によるものなので、理解できない人も多数いる。
これは仕方がない事。



子供のころ誰もが体験した小さな空間。
あの時感じたワクワクした心は、外の刺激によるものではなく自分の中にあった物。
案外そこは広い。

2015年7月3日金曜日

#エネルギー政策

facebookに書いたモノのメモ




#エネルギー政策:(ローエネルギー=ローテクノロジーエネルギー=自然エネルギー) ローエネルギーにはローテクで対応するのがエネルギー利用の基本的基本、鉄則だ。 太陽光利用は自作の方が効率を良くする工夫がしやすい。どこのメーカーもそん...
Posted by 杉本 賢二 on 2015年7月3日

2015年7月2日木曜日

スーパーの売り場を見て思う。

そんなに手柄を立てたいかなぁ。
平穏な水鏡に石を投げ込んで波立たせる。
スーパーの売り場を見て思う。

そもそも、健康的食い物については、諸説入り乱れて何が正しいのか誰も判断できていない。
その時点での有力学説。これ自体も学説正否を多数決で決めるようなちと怪しい物。
後でまた、それに反するような物が出て来る。

学説は仮説からスタートする。
その仮説に基づいて、あるいは誘導するように組み立てられる。
建物の強度や性能も最初は仮説から始まる。
どう地震や強風被害から守るかによって骨組が計画される。
各種の性能も同じ。断熱や静粛性など、要求に応じた(誰かが得をする)仮説によって組まれていく。
 
必然、ある過去の性能を上回る技術が生じれば、それらの技術や視点は淘汰されていく。
一つの説のみがずっと居座るという事は無い。

栄養学の人達は「何を言う」と言うだろう。でも、常時放し飼いの人間たちが、常に食物を管理して環境も維持できているかと言うと、んなコタ無いわけで、やはり環境順応動物らしく、周りの雰囲気に流されながら生きている。管理できる状況あるいは強固な意志で。それは特殊状況なのだ。
 

「牛乳は体に良くない」と書いた一人の医師が居る。刺激的なこの説はベストセラー本になった。

今迄信じて来たモノに異論を唱えれば当然注目されるが、それは仮説と類推で書かれた物だった。

だが、真実性より新奇性のみが命のマスコミに取り上げられる事で、生産者は大打撃を受けた。

本当かウソかは知らん。誰にも判断がつかない。しかし、健康学説が正しいとしてみんな長生きしちまったら社会は崩壊する。

それは、あらゆる分野の全ての学説が目標としている社会構造維持からすると本末転倒だろう(笑)。長生きしたい連中に聞いてみたい。

「長生きしてなにがしたい、なにが出来るのだ?」 ま、それはおのおのの、欲得や煩悩の深さに応じて考える事。

だが生産者が窮地に置かれたことは事実だ。現在発売されている飲料の中で「命をはぐくむもの」として運命づけられて世に出たものは牛乳のみだ。後は人智で作り出した物。一つの物に「神の恵み or 人智」の2つの選択肢があったなら、僕は間違いなく神の方を選ぶ。

そして生産者も良い物を産みだしたい一心。(酪農業って一律にそうなので感心する)
いや牛が、配合飼料がどうあろうとも(日本のはまともだ、海外は知らん)、手を抜かないだろう。牛は間違いなく哺乳類代表として、性善説で乳を作り出している。手を抜こうなどとの不心得者の牛は一頭もいない。

神と生産者達の気持ち。この2つが有れば、もしも万が一この医師の仮説が正しくても十分飲むに値する。栄養などよりも尊い物だ。長生きしようがしまいが、それは神のご意志だろう(笑=浄土真宗) をう、牛乳信者で結構でございます。

笑っちゃうのが「牛乳の成分にあるこれが、こう言う体質の人に・・」と言う説明。それ、牛乳のせいじゃなく、支障が起きるその人の方の問題だろ。その人は牛乳飲まなければ解決してるのか?違う場面でも出てるんだろ?もしもそうならば相性悪いモノが判って良かったじゃん。特殊例を持ってきて手柄話(一般化)するなよ。(笑)

僕は、むやみに体に負担をかけるスポーツ愛好者や、身体作りのプロティン愛用者や、偏食代表格のベジタリアンや、病院通いが好きな癖に多重薬害を口にする奴や、サプリメント常用者や合成飲料がぶ飲み、酒や喫煙している奴や、ぷよっとしている奴が、この医師の説をさも信憑性があるように話すのを見ると「お前、馬鹿だろ!」との烙印をまちがいなく押す(笑)

その馬鹿達のおかげでバターを初めとする乳製品の生産バランスが狂った。
世を狂わすのはいつもマスコミが原因だ。それに流される連中、少しは落ち着け。
何だ都府県。お前ら、糖分たっぷりのコーラやポカリの方がマシだと思ってるのか?

 
「乳製品がダメと言う奴は哺乳類ヤメロ」。
これを言ったのは僕じゃないが、仮説の冗談としては少し信憑性がある。(笑)

2015年7月1日水曜日

デザイン design(計画)屋は因果な商売

芸術家は自分の思いや感情を表現するのに対して、デザイン屋は顧客の欲望や願望を「程度に合わせて」形にする。
一旦経済課題など現実に引き戻し鏡を見せて、異を唱えたり賛同したりの意見を言い、それから良い方向に持って行くにはどうするかという事を種々選択協議する。

社会性を帯びれば「それはしてはいけない」と異を唱える場合もある。これは実にリスキーな状況。
その相手が、自分自身への耐性が無い場合、これは両刃の剣。少なくとも相手の事を真剣に考えている、第三者一番目候補の私を対象に否定したくなる。だがそれは承知の上だ。

必然として「合わない」となる。
だが、ならば依頼者に迎合しただけのデザインを、そのまま世に出して良いのかと言う事。
依頼された程度、そのまま表現すればそれは楽だ。だがそれを世に出した以降変更には膨大なコストがかかる建築だからこそ慎重にすべきだ。

これは事前のシュミレーション。この段階では私一人だけだが、現実に反対する人がいるとしたらどう対処するのか。それが欠けているので覚悟のほどをあえて聞く。

こちらは「良い人である」「社会に貢献する」「有益な存在」と言う看板をさりげなく演出する。
少なくとも「自己中心的」「排他的」「教条的」など、いわゆるマイナスイメージにはフィルターをかける。でもそれはごまかしのオブラートではなく、一連のやり取りの中で、社会的に共感を産む本物となってほしいのだ。



数年前、ある専門分野で高度な名声がある事業主。商業分野での試験段階が済み、実施生産したいとの事で、生産工場を依頼された。
依頼に応じて、補助金等の制度資金など、資金計画を立てる期間、この事業の動機や目的・目標・将来像などをヒヤリングしていく。
その中で依頼主は「金・地位・名声」このビジネス事業で求めたい物は何なのか・・・。(ビジネスに住宅に求められるような安息はあり得ない)

結局僕が出した提案。
「全ての生産物はOEMとして、研究機能機関をつくるべき。これによって工場建設費用は不要になる。」
依頼主はぶち壊しの提案に最初びっくりしていたが、その点に関しては納得して生産工場事業化を見送った。

僕は自分の仕事を傍に捨てたが、これも田舎のデザイン屋の仕事だと思ってる。なによりも僕に声をかけてくれた恩に報いる為には、依頼者には絶対にハズレくじを引かせるわけには行かない。これが最優先。

デザイン屋の評価は表現した形とその運用と方法論が全て。
ではあるが、それに至るまでの根拠はある。感覚的ではない。
表現したのは結果だけなのだ。

実は市場調査や製品官能試験など、依頼主の成功の為の調査も行っていた。
持っている製法ノウハウはどの程度なのか、趣味の範囲かビジネスレベルか。
他社との競合は無いか・・。ノウハウ実現コストはいくらなのか。
これらの分析・処置は滅多に依頼主には説明はしない。
依頼主が知らなくて良い事は沢山ある。